大善は非情に似たり2007.7

大善と小善 野鴨に餌をやる 鴨は餌を探すことができず、死んだ 父の胸に飛び込む 常に自分の足で立つことを教えるのが真の愛情

 

大善は非情に似たり、小善は大悪に繋がる。」 厳しい言葉である。

人の良いおじいさんが、自宅の庭にくる野鴨に毎日餌をやっていた。 餌付けされた鴨は季節になっても他所へ渡っていかない。 何年かの月日が経った。 やがておじいさんが死んで、鴨に餌をやる人がいなくなった。 鴨は自分で餌を探すことができず、やがて死んでしまった

 

この関係は、親と子、上司と部下、監督と選手、政治家と国民、等々、多くの組み合わせに共通する。 「獅子は千尋の谷に子供を突き落とす。」とも言われる。

 

 ユダヤ人の親が子に言った。 「父の胸に飛び込んでおいで。」 子は父の胸に向かって飛び込んだ。 父は子をしっかりと受け止めた。 再び父が言った。 「父の胸に飛び込んでおいで。」 子は父の胸に飛び込んだ。 父は子をしっかりと受け止めた。 

 父はもう1度言った。 「父の胸に飛び込んでおいで。」 子は思い切って父の胸に飛び込んだ。 しかし今度は、父は身をよけて子を受け止めなかった。 子は床に落ちて泣いた。 そこで父は言った。 「一度や二度、無事にいったからといって、油断してはいけない。 人はいつも助けてくれる(同じ事をしてくれる)とは限らない。」と。

 

 子供を思い切って突き放すことも時には必要、否、常に自分の足で立つことを教えるのが真の愛情と言える。