インドのゴルフ場1999/8)

プレーヤーは居らず貸切りで好き勝手にプレーを楽しむ グリーンと呼ばずブラウンと呼ぶ 足の指にボールを挟んで運ぶ ゴルフ天国

 

インドと言えば日本ではカレーと頭にターバンを巻いた髭のおじさん位しか知られていないが、インドはなかなかの大国で、国土面積は日本の約9倍、人口は実に7倍を持つ。 アジア大陸の中央分からインド洋に向けて逆三角形に突き出でいる。 北は万年雪を戴くヒマラヤ山脈の麓から南は北緯4度の熱帯にまで広がっている。 インド亜大陸 indo-subcontinentと称される。

その逆三角形の左(西)岸には北から、大都会のボンベイ(現在はムンバイと改名された)、日本への鉄鉱石の輸出で知られたゴア(キリスト教を日本に伝えたことで有名なフランシスコ ザビエルのミイラを安置した教会がある)、港町カリカットなどがあり、更にその南にコーチンと呼ばれる古い港町がある(北緯6度)。 この町は紀元前からアラビア(中近東)との貿易(シバの女王の宮殿にはコーチン産の高級木材―紫檀が多く使われていた)で栄えた歴史を持ち、今もその当時に移住してきたユダヤ人の末裔が住み続けており、ヨーロッパの古い町でよく見られるユダヤ人街やシナゴーグ(墓地)がある。 

そんな町に私は通算3度、延べ2年間仕事で在住した。 パチンコ屋もなければ飲み屋もない(インドでは州によって禁酒の州と禁酒ではない州がある。 コーチンのあるケララ州は禁酒の州ではないが、ホテル、レストランなど公共の場所では禁酒)。 映画館はあるがヒンドウー語(インドの公用語)でさっぱり分からない。 勿論、競輪や競馬などの博打もない。 「何かストレスを解消する趣味を持たないと必ずノイローゼになる。 一番のお勧めは安いゴルフだ。 現地には近くに手ごろなゴルフ場があるので、是非ゴルフを始めなさい」と先輩に薦められ、何となく始めることにした。 現地ではクラブが手に入らないので、日本から送り込んだ。 

さて、現地に乗り込み、ホテル住まいも落ち着いたところで早速近くのゴルフ場を調査がてらに訪れることにした。 ゴルフ場は近くの島にあると言う。 ホテルからタクシーで10分も行くと、海辺の渡船場に着く。 

コーチンの町はバックウオーターと称される入海が複雑入り組んでおり、彼らはインドのべニスだと言っている(実際にはベニスのような狭い地域ではなく、面積は何倍も広く人口密度と建物密度は格段に低い)。 そのバックウオーターに30人乗りほどの水上バス(これはベニスと似た船だ)が公営で運行されている。 それと共にベニスのゴンドラに当たる小型の手漕ぎボートが個人向チャーター用として営業しており(運賃はゴンドラの100分の1以下の感じ)、屈強な半裸のおっさんが漕ぎ手をつとめてくれる。 

そのボートを雇って対岸の小島(ボルガティ アイランド)に向かう。 細長い島の突端部にショートホール(パー3が7ホールとパー4が2ホール)のコースがある。 元々公園で民家もすぐ近くにあるため、時にはコースの中でピクニックの人が弁当を広げていたり、民家で飼っている牛が寝そべっていたりする。 距離は短くグリーンは狭い。 おまけにコースとコースが複雑に交差している。 それでも無いよりはましだし、一応ゴルフは楽しめる。 

乾期になると雨は全く降らず、フェアーウエイには水も撒かないので、芝がだんだんと薄くなり、その内ほとんど砂地に近くなる。 その時期でもグリーンだけは毎日水を撒いているので辛うじて緑を保っている。 まるでバンカーとグリーンだけでコースが構成されている様なものだ。 逆に雨季になるとフェアーウエイに水が溜まり、高く上がったボールが芝の中に潜り込んで見えなくなることもしばしばある。

料金は極端に安く、メンバーになるための会員権が約4000円(4000千円ではない)。 但し、メンバー2名の紹介が必要だ。 毎週土曜日に行っても、1月分の請求額はグリーンフィーとキャデイフィーを合わせて3000円位だった(クラブハウスでは現金を払わず、月末に一括請求される)。 しかもキャデイは日本と違ってプレーヤー1人づつに専属に付いてくれる。 お望みならメインキャデイ(バッグを担ぐ)とフォアキャデイ(ボールの監視をする)の2人を雇ってもよい。 キャデイは総て男の子(中学生くらい)で女性はいない。 キャデイフィーは彼らの格好の小遣いとなるので、沢山の子供たちがキャデイ希望で集まってくる。  プレーヤーは自分の好みの子供をキャデイとして指名する。 プレーヤーの数の方がキャデイの数よりずっと少ないので、私達が手漕ぎのボート島に着くと、子供たちは自分をキャデイに指名するよう争ってプレーヤーに群がってくる。

そのゴルフ場でプレーを楽しんでいるのは半数以上が外国人で、日本やアメリカなど外資系企業の社員、我々のようなインド政府系企業のコンサルタントなどである。 現地のインド人では国営企業の経営者、貿易商社の役員、医者、高級軍人などがきていた。 近くにあった海軍基地の司令官は、数名の兵隊を連れて小型艇で島に乗り付け、兵隊達を待たせたまま自分だけプレーを楽しんでいた。

このゴルフ場は近かったこともあり、良く遊ばせてもらった。 日曜日など、朝は日の出前にきてプレーし、日が昇って暑くなる頃にはホテルに帰り、軽い朝食を済ませた後、部屋でシャワーを浴びて昼寝をするのが最高の気持良さであった。 こんなことは日本ではできない生活パターンであろう。

残念ながらコースが狭く、距離も短いものであったため、その点では満足できるものではなったので、時には車をチャーターしてゴルフ旅行を計画をしたこともあった。  コーチンの街は西は海(アラビア海)に面し、東はすぐデカン高原の最南端の山が迫っていたため、2,3時間も車で東に走ると山岳部に入る。 山岳部は気温も平地ほど熱くならず、雨も適当に降るため樹木が良く茂り、数100年も昔からイギリス人が広大な茶畑を開拓していた。

彼等はここでインド人労働者を使って大規模にお茶を栽培し、ヨーロッパへ輸出していた。 有名なイギリスの紅茶、ブルックボンドやダージリンなどは総べてインド産の茶葉を使用している。 また、趣味でゴルフを楽しむため、広い茶園の中に18ホールの本格的なゴルフ場を作っていた。 これらのゴルフ場は個人所有であったり、数名の茶園オーナー達による専用のコースとなっていた。 第2次世界大戦でイギリスの勢力が衰え、インドが独立するとこれら茶園の所有者はイギリス人からインド人に代わっていった。 

そんなコースがいくつもあり、予め申し込んでおけば我々もプレーすることができた。  数日の休暇を取ってこんなコースに行くと、プレーヤーは殆ど居らず、貸切り状態で好き勝手にプレーを楽しむことができた

コーチンからプロペラ機で2時間ばかり東北に飛んだ所にバンガロールという高地の町がある。 ここは現在インドのソフトウエア産業のメッカになっており、世界中(特にアメリカ)からコンピュータソフトの注文を受けて、インドの1大輸出基地となっている。 最近では日本からもソフトウエアの受注が増えている。 

高地にあるため気温はそれ程暑くなく、1年中花が咲くきれいな都市である。 この町にもゴルフ場があるが、唯ここは年間降雨量が少ないため、フェアウエイは土が固く芝生もハゲハゲで、酷い状態だった。 高くあがったボールだとフェアウエイに落ちても日本のカート道に落ちた時と同じように高く跳ねる。 何よりもグリーンが傑作で国技館の相撲の土俵の様である。 フェアウエイに土で円形に固めたの部分を作り、中心にカップが切ってある。  土の上には細かな砂が薄く敷かれている。 このためこのコースではグリーンと呼ばず、土と砂の色からブラウンと呼んでいる

ボールが直接ブラウンに落ちると跳ねて出てしまうため、ランニングアプローチで流し込む。 パットをすると薄く敷かれた砂にボールの転がり跡がつく。 そこで小さな手箒(ほうき)を持った専任のキャデイがいて、砂に付いた跡形を其の都度丁寧に掃いてくれる。 従って各パーティにはプレーヤーと同数のメインキャデイと同じ数のフォアキャデイ、更に掃き役のキャデイが付くと言うことになる。  何とも大層な人数であるが、プレーヤーが少なくガラガラに空いているため、気にすることはない。

勿論、こんなゴルフ場ばかりでは決してなく、立派なコースも沢山ある。

どこも貸切り状態でプレーが出来るばかりでなく、費用も安い(せいぜい2,3000円)。 場所によっては前日に電話をして何時頃に、何人で行くからと連絡しておかないと、キャデイさえいない所もある。 キャデイは何れもサービス精神旺盛で、OBになったかなと思われる様なボールでも、行って見るとフェアウエイのいいところに出ていたりする。 キャデイが足の指にボールを挟んで(彼等は皆んな裸足)我々に気付かれない様に運んでいるのだ。 勿論、スコアが良ければチップが期待できるからだ。 「絶対にボールに触るな」と厳命しても、こっそりとやるのはなかなか発見し難いものだ。

以上は南インドでの状況で、北インドでは少々異なる(プレヤーが多くなる)が、それでも日本とは比較にならない程安くゴルフを楽しめることには変わりがない。 インドは本場のイギリス人が開いた伝統あるゴルフ場も多いので、ゴルフ好きにはじっくり楽しめるゴルフ天国である。