人の持ち味(道を付ける)

新しく道を付ける 最も大きな創造性

世の中にはいろいろな種類の能力を持った人がいる。 その種類の分け方もいろいろあるが、仕事の上での分け方のひとつとして、こんな分け方がある。 先ず一番目に、「何もない所に新しい道を付けるのが得意な人」がいる。 白紙にデザインを書ける人である。 何もない所に新しく道を付けるためには、何処から何処に向かって道を付けるのかを決めなければならない。 その予定地には山があれば削ったり、トンネルを掘ったりしなければならない。 川があれば橋を架けねばならない。 森が有れば木を切らねばならない。 例え細くても、少々がたがたの道でも、何もない所に新しく道を付けることは、極めて苦労が多い。 しかし、これを得意とし遣り甲斐を感じて進んでする人や、他にやる人がいないので、止む無く苦労を承知でやる人がいる。

例え細くて曲がった道であっても、道に沿って進むのと道のないところを進むのとでは、そこを通る人の苦労には雲泥の差が生じる。 例えば、山の中で道の無い熊笹が生い茂ったところを、掻き分け掻き分け進むのと、わずか幅30センチの「けもの道」を進むのとでは、少しでも山歩きを経験した者なら分かることだが、その差は歴然である。 細くて曲がった道であっても良いから、先ず道を付ける。 その後拡幅するなり、舗装するなり、立派な道に仕上げていけば良い。

二番目の人は、一番目の人が作った、新しいが細くて少々がたがたの道を拡幅し、でこぼこを平坦にし、曲がった部分を真っ直ぐにするのが得意な人である。

三番目の人は、二番目の人が整備した道が長年使っている内に少しづつ傷んで来るので、これを補修するのが得意な人である。 (他人の付けた道を使うだけで、何もしない人は論外だ)

以上のことは、仕事の上でもそのまま当てはまることである。一番目の人の仕事、二番目の人の仕事、三番目の人の仕事、何れの仕事も大切で無くてはならない仕事である。 夫々の人に夫々の持ち味がある。 しかし、出来ることなら三番目の仕事より二番目の仕事を、二番目の仕事より一番目の仕事を選びたいものだ。 なぜなら、一番目の仕事の中にこそ最も大きな創造性が含まれており、最も大きな創造性の中にこそ最も大きな遣り甲斐が含まれているのだから。 中には一番目の人のした仕事を見て、道が細いの、がたがただのとケチばかり付けて自分は何もしない人もいるが、これは最低で論外だ(実際にはこの種の人が世間には大勢いるが)。

自分自身がどれを得意とする人間かを客観的に考えて見ることも必要だし、或いはまた、社会で身の回りの人を観察して、夫々どの人がどのタイプの人かを分類して見ることは興味があり、大切なことである。 特に人を使う立場にある人にとっては、適材適所と言う意味からも部下がどの種類の人かを、普段から観察しておくことは極めて大切なことである。