インドでの暮らし その10
生活習慣の違い2005.6)

州が違えば言葉(文字)が異なる 首は横に振る 宝石商と値切り 停電 インドの神様 チップ 銀行の支店長 社員の慰安会 現地語の童謡で大喝采 親近感を深める良い方策 医療事情

 

インドと言う国は日本から見るとある意味で最も遠い国である。 「遠い」と言うのは相互間の距離ではなく、生活習慣や生活環境が両国で想像を絶する程に異なると言う意味である。 幾つかの例を挙げて見よう。

 

1.言葉

先ず、この国には日本語に相当する共通性をもった国語が事実上存在しない。 

ヒンディー語と呼ばれる公式な共通語があるが、日本語のように全国どこでも通じる言語ではない。 インドは20幾つかの州から構成されているが、州が違えば言葉(文字)が異なる、換言すれば各州ごとに言葉が異なり、それに伴って文字も異なる。 隣接する州は比較的言葉が似通っているそうだが、距離が離れるに従って、言葉も文字も全く異なったものが使われている。 日本で東京都と大阪府で言葉や文字が全く違うなど、想像できるだろうか。 北部の州の言葉と南部の州の言葉はまったく異なるし、文字も類似点がない。

 

ニューデリーの近くの文字は、日本でもお墓に書かれている梵字に似た文字である(横書きすると物干しに何足も靴下をぶら下げたような形になる:冗談)。 南部の文字はクルクルと丸が重なったような形になる(昔バナナの葉っぱに書かれていたのでこんな形になった:冗談)。 結果的に実用上、英語が共通語になっている。 小学校の授業も、国語や社会は地元の言葉で行われるが、算数や理科などは小学校の高学年から英語で授業が行われていると聞いた。

 

このような事情からインドのお金(紙幣)には13の異なった言葉(文字)で金額が書かれている。 インドには12の主要な言葉と300とも500とも言われる方言が使われているという。 そのため、全国を流通するお札にはそれら12の言葉とプラス英語で、例えば10ルピー札(インドの通貨単位はルピー)には、10ルピー、10ルピー、10ルピー、と13種類の違った文字で書かれている。

どう言う訳か、インドではお金(お札)を何枚もホッチキスでとめて持ち歩き、使う時は必要枚数だけ剥がしているのを何度も見かけた。 街の商店のおっさんだけではなく、銀行でさえも、そんな使用法を見かけた。 そのためお札の左上の角が破れているお札が多い。

 

日本とインドでは言葉が違うだけではなく「言葉の意味する内容、定義」が異なる。 ある時、クイーンエリザベスカレッジと言う学校の近くへ行く用事ができた。 女子大であるから、そこそこの建物だろうと日本式に考えて、この辺りと思われる所を探したが、一向にそれらしき建物は見当たらない。 何度も周辺を行き来して、やっとQueen Elizabeth College と書かれた小さな看板を発見した。 しかし、その建物はごく普通の2階建ての民家風で、広さも延べ面積で200u程度。 とても日本人が名前から想像できる建物ではない。 しかし、これは日本人が勝手に自分の日本的常識から想像した間違いである。

日本で使われる「マンション」と言うことばが、ヨーロッパ人が想像する建物と全く合致しないのと同様である(マンションは本来「大邸宅」の意)。

 

以前、リクライニングバスのことを書いたが、硬い椅子の背板が5センチばかり後ろへ傾くようになっているだけでもリクライニングシートなのである。

同じことが英語のLady や Gentleman にも言える。 Lady や Gentleman は、日本語の紳士、淑女とニュアンスがかなり違う。 日本で紳士と言えばそれ相応の立派な上(中)流階層の人のイメージであるが、アメリカで Ladies and Gentlemen はその辺のおっちゃんやおばちゃん達向けにも広く使われている。

もう一つ例を挙げる。 importと言うと日本人は疑いなく「海外からの輸入」を頭に描くが、インドでは他の州から自分の州に運ばれてきた場合にも import と言う。 そう言えば、パソコンでも別のファイルからデータを取り込む場合、インポートと言うので、日本人のimport の概念が間違っている(狭く解釈している)のであろう。

 

 

2.しぐさ(首は横に振る

人と話しをしている時、日本人が相手の話に同意する場合、「うん、うん」と言う感じで頭を前後に振る(うなずく)。 インド人は同様のしぐさでは、「うん、うん」と頭を横に振る(左に軽く傾ける)。 最初はそれが分からないから、こちらの言うことに反対しているのかと勘違いする。 しかし、よく見ていると、こちらの話しに同意、または、納得している時のしぐさであることが分かってきて、安心した。

 

 

3.宝石商と値切り

インドには店を持たずに、鞄に宝石類を入れて売り歩く「個人の宝石商人」がいる(日本の外商とは違う)。 ある日、どこで聞いてくるのか「日本人がコーチンのホテルに泊まっている」との情報を得て、インド人のおっさん(あまり宝石商らしく見えない)が、私達の所へ売り込みに来た。

ホテルの部屋でアタッシュケースを開くと、中は3層の宝石入れになっており、ルビー、サファイア、スターサファイア、ムーンストーン、キャッツアイ、アメジスト、トパーズ、等々、各種の宝石や、ネックレス、ブレスレット、などの金製品がぎっしりつまっている。

 

商品と共に日本語で書かれた推薦状を何枚も持っている。 過去に買ってくれた日本人客に頼んで「この商人は信頼できる」旨の一筆を書いて貰い、それを持参しているのである。 行商人である自分が日本人客の信用を得るために、この推薦状が効果を発揮することをよく心得ている。 さすがインド商人である。

また、商品知識も豊富で、数百個の宝石類の、石の種類、カラット数、単価、値段、重量(金製品は加工費が安いので、重量×単価 で売っている)を、値札など全くなしに実に正確に覚えている。

 

さて、値段交渉をどうするか。 先ず言い値の30%(70%引き 日本ではとても考えられない値段)からスタートする。 交渉中、おっさんは本当に渋い顔をして、「とんでもない。そんなに安くはできない」と繰り返すのだが、何度も何度も押したり引いたりしながら交渉を続け、結局言い値の60%(4割引)で折り合った。 値段が折り合って買うことが決まった瞬間、渋かったおっさんの表情が満面の笑顔に変わり、Thank you を繰り返した。 これでも十分採算が成り立ち、儲けが出ると言うことである。 幸い帰国後に鑑定して貰ったが偽ものではなかった。

 

 

4.停電

日本では今や大地震か台風でもない限り、殆んど停電はなくなったが、インドではまだまだ遭遇する。 当時はニューデリーの一流ホテルでも、机の引出しには聖書とローソクが用意されていた。 ましてや私達が長期に滞在していた地方都市コーチンのホテルでは何度も停電に見舞われた。 猛暑の中でクーラーが止まると悲劇である。 これも修行の一つと辛抱するしか逃げ道はない。

 

 

5.インドの神様

インドにはヒンズー教の寺院が沢山ある。 そこでは多くの神様の石の彫刻が見られる。 どう言う訳か女神が多い。 それらの神々は何れも超グラマーである。 魅力的で大きな目、豊かな胸、細く括れた腰、ゆったりした尻、魅惑的な全身のポーズ、など、何れを取っても日本の神仏像とは比べ物にならないほど現実的であり、魅力的である。 

約2,000年前にインド北部で創造された仏像(お釈迦様自身は個人崇拝を嫌って偶像製作を禁じていたが、入滅後500年経って、ギリシャ文化の影響から仏像が作られるようになったと言われている)がシルクロードを通って中国に入り、日本海を渡って日本に渡来する間に、こんなにもフラットな姿になってしまったのだろうか。 「そこがヒンズー教と仏教の違い」と言われればそれまでだが、残念なことだ。

 

 

6.チップ

インドにもチップの習慣がある。 ある時、ホテルの庭で仕事仲間のインド人技術者と雑談していた。 喉が渇いたのでお茶を頼み、持ってきてくれたボーイにチップとしていつものように1ルピー札を1枚(当時のレートは1ルピー=約50円、現在は1ルピー=約3円)を渡したところ、インド人技術者が「そんなに沢山のチップを渡してはいけない」と注意された。 彼の相場観では1/2ルピーか1/4ルピーのコイン1枚でよいと言うのである。

 

日本人の感覚では50円は小額であるが、現地とは物価や所得の水準が違う。 因みに、1ルピーはお札である。 日本では最低額のお札は千円札である(百円札はあるが、全く流通していない)。 従って、お札はそこそこの金額であり、チップはコインで十分と言うのが妥当かも知れない。 国の違いを超えて、その国で流通している最小額のお札は、ほぼ等価の価値があると考えるのが一つの目安なのかも知れない。 チップの相場は高めのコインでOKということであろう。

 

 

7.銀行の支店長

私達の現地経費は給料の一部として現地通貨の小切手で毎月支払われていた。 小切手を現金化するため、市内の銀行(国立バローダ銀行コーチン支店)に口座を設け、受取った小切手を同支店へ持って行った。 銀行の窓口で担当者と話していると、それを目敏く見付けた支店長(支店長室からはガラス張りの窓を通して、カウンターが総て見通せるような配置になっている)が、「あなた方は高額預金者なので、今後カウンターへは行かず直接支店長室へ来て下さい。私が総て処置します」とのこと。 「へーそうなの」と言う感じ。 日本の銀行ではサラリーマンがそんな扱いを受けることは先ずないでだろう。

この支店長殿、少し太り気味の大柄で、大きな目がいつも笑っており、なかなか愛想の良い、にこやかな人であった。 今もその顔を鮮明に思い出せる。

 

 

8.社員の慰安会

インドの生活にも十分慣れた頃、造船所の社員および家族のための慰安会が催されることとなった。 私達日本人(その当時は、チーフ1名、機械1名、造船1名、電気1名、土木2名の計6名駐在)にも招待があり、且つ、何か余興をして欲しいとの要望があった。 慰安会の会場は市内の市民ホール(2階席のある大ホール、定員1,500名)である。 さあ、余興に何をするか。 何が日本らしいか。

相談の結果、盆踊り(炭坑節)、民謡大漁節(松島の瑞観寺)、インドの童謡の3つとなった。 炭坑節など踊ったことがなかったので、滞在中のホテルの廊下で即席の練習を行って、何とか振りを覚えた。 大漁節も歌だけでは単純なので船を漕ぐ身振りをしながら歌う練習をした。 インドの童謡は現地語(ケララ州の言葉はヒンズー語ではなくマリアラム語と言い、文字はくりくりと丸みが多い)の歌詞を地元の人に教えて貰い、これを暗唱した。 歌の内容は短くて単純、日本で言えば七つの子(からす何故鳴くの)の現地版である。 カケカケ クールビレー ・・・ アンヨカケ パティチョ ・・・とか言った。

 

さて当日出かけて見ると、大ホールは2階席まで超満員である。 私が炭坑節の概要を説明した後、「月がー出た出た・・・」と歌いながら踊る。 まあそこそこの反応である。 次に大漁節、これも概要を説明した後、「まつしまーのさーよーずーいーがんじ・・・」と歌いながら艪を漕ぐ。 コーチンは港町であり漁業も盛んなので、炭坑節より理解され易く大きな拍手を受けた。 最後は現地語の童謡である。 これは解説なしで全員で歌ったが、これがもっとも好評で大喝采を受けた。 例え単純な童謡であっても、会場の誰もが知っている歌を、たどたどしい現地語で歌ったのが大受けしたのであろう。 これで締め括ったのが大成功であった。

 

舞台を降りると直ぐに現地の新聞記者が取材に来て、質問や感想を聞かれた。 翌朝の現地新聞には大きな写真入と3段抜きの記事が出ていた。 もっとも現地語で書かれているので意味は不明。 その後当分は会う人毎にこの話が話題になった。 ここでも現地語の童謡が一番の話題であった。 お国自慢は万国共通であり、親近感を深めるには良い方策であった。

 

 

9.健康診断と医療事情

一般的には衛生事情が良くないこともあって、私達は3ヶ月に1回病院で健康診断を受けることとなった。 地元の病院へ行き、相談すると、「健康診断にはどのドクターを指名するか」と問われ、5,6人の医師の経歴が書かれた一覧表を見せられた。 殆んどのドクターはイギリスまたはアメリカへ留学し、そこで博士号を取得している立派な先生ばかりである。 私達には甲乙付け難い先生方ばかりであったので、病院側に一任したところ、ドクター イーピンと言うイギリス仕込みの先生を推奨してくれた。

 

お会いして診断を受けたところ、とても温厚で親切な紳士であったので、以降この病院でこの先生の診断を受けることとなり、定期の健康診断やその他の突発的な対応も含めた治療内容を記載した契約書が作成された。 幸い全員、軽い風邪や下痢程度で大病をすることはなかった。 日本の大病院のように「3時間待って3分の診断」などとは全く異なり、待ち時間は殆んどなく、且つ、診断はこちらの得心がいくまで、じっくり相談に乗って頂いた。 インドの医療事情やレベルに関するそれまでの認識を一変させる経験であった。

 

最近は日本でも一部の先進的な病院では、所属する各医師の経歴や専門分野の経験・実績などを公表している。 インドでは1970年代、既にこのような対応がなされていたのである。 また、近年インドの医療が見直され、インド製の薬や一部の治療が日本で採用されるようになって来ている。

 

インドは歴史的に見れば医療先進国であって、アーユルベーダと称する医療本は2000年以上も前に書かれたものであり、広く知られているヨガなども、ここに由来している。

 

インドでの暮らし 11 に続く