インドでの暮らし その12

招待2007.8)

CPO(Chief Project Officer) 技師長(Chief Engineer) Superintending Engineer(部長) Executive Engineer(課長) Proprietor(ホテルのオーナー) 女性国会議員 新聞記者 パーティ

 

 2年余のインド滞在中、各種の関係の方々から、いろいろな招待を受けた。 その間に垣間見たインド人の、日本人とは少々異なる姿を記して見たい。

 

CPO(Chief Project Officer)

 インドに世界最新鋭の造船所を建設することが、インド政府の目的であった。 インド政府は日本がその当時、世界でも最も優れた造船技術を持っていると考え、日本の技術援助を受けて、国内第1の造船所を建設する予算を認可し、このプロジェクトの担当責任者CPOを決めた。 彼はインド政府運輸省の官僚(技術系)で、日本で言えば運輸省の局長クラスであった。

 

 彼はこのプロジェクトが実行に移されると共に、造船所建設予定地の近くに、家族(奥さんと小学生の男の子供1人)と共に転勤になった。 私達が現地に赴任して間もなく、彼が私達コンサルタント5名を自宅に招待してくれた。 こんなこともあろうかと、日本からささやかなお土産(少額だが数多く)を持ってきていたので、その内の一つを持って出かけて行った。

 

 転勤族の彼は、プロジェクトの完成と共にまた何れかに転勤となるので、近くの民家を官舎として借りて暮らしていた。 子供は全寮制の国際学校へ入学させていた。 地元の小学校へ通わせると、授業のかなりの部分は地元の言語(マリヤラムと称する南インドケララ州の地方語)で行われるので、これでは他の地方へ転勤した場合不都合と考え、全授業が英語で行われている国際学校へ行かせていた。

 

家庭内でも地元の言語は一切使用せず、総て英語で通していた。 多分インドのハイクラスの家庭では、将来の仕事のことを考え、子供は小さなときから英語で育てるのが、かなり広く行われているように思われる。

 

インドの家庭料理は例によって、総てカレー味である。 それは日本式のカレーライスではなく、「カレーその他の香辛料で味付けされた料理」である。 日本の家庭料理の醤油や味噌が、カレーその他の香辛料に置き換わると考えた方が近い感じである。 日本でもかつて、各家庭ごとに味噌を作ったり、何種類かの味噌を混ぜ合わせて、その家ごとの味を出していたのと同じ考え方である。 従って、カレー味の魚の煮つけ、カレー味の野菜の煮つけ、カレー味のマトンの煮つけ、などとなる。

 

味は日本よりも濃い味付けではあるが、辛くて食べられないというようなことはない。因みに、日本語の「辛い」には、2つの辛さが含まれている。 塩の辛さ(salty)と唐辛子やカレー粉の辛さ(hot)である。 インドの辛さは後者の意味であり、塩辛さはない。 

味覚が鈍感になっているためか、甘さの味付けも強く、特にデザートや紅茶にはたっぷり過ぎる砂糖を入れるので、強烈に甘い。 出された料理は全般的には、日本人の味覚には合わない(特に美味しいとは思えない)が、心のこもった、もてなしを感じるものであった。

 

 技師長(Chief Engineer)

CPOのすぐ下に、技師長と称するポストがあり、人の良い機械技術者が配属されていた。 彼も国家公務員で、やはり近くの新しい民家を官舎として借りて、家族(奥さんと10代後半の娘さん一人)と共に住んでいた。 彼も私達を自宅に招待してくれた。

 

ここでは、家庭料理が済んだ後、インド美人の可愛いお嬢さんが、チターと称する楽器(三味線に似た形をした小型の弦楽器)を奏でて、私達に聞かせてくれた。 少し郷愁を帯びたインドらしい曲であった。

 

この技師長は日本の電気製品に特に興味があり、日本の電気メーカーの名前や製品、型番まで、とてもよく知っていた。 オールインワンのステレオ(カセットテープレコーダー、ラジオ、マイクが一体に組み込まれ、左右にスピーカが付いたもの 当時日本でも最新型として流行っていた)を何とか入手する方法はないかと真剣に相談された。 当時のインドは外貨制限が厳しく、お金があってもインド人がこの種の製品を輸入することはできなかった(勿論インド国内では販売されていない)

結局、次回日本から出張者が来るときに、希望の製品を購入して持参し、費用は円貨相当の現地通貨で受取ることとなった。

 

Superintending Engineer(部長)

技師長のすぐ下に、Superintending Engineerと称するポストがあり、人の良い機械技術者が配属されていた。 日本式に言えば部長クラスであろうか。 彼は造船所の生産設備新設を担当しており、私達の仕事と最も深い関係にあった。 その彼が事故で急死したため、招待ではないが、葬式に出席した。 日本のように香典が必要なのかどうか関係者に尋ねて見たが、はっきりした答えは得られない。 結局、それは参加者の気持ち次第ということであろうと解釈し、自宅にお訪ねして御花と香典を渡し、弔意を表して帰ってきた。

 

Executive Engineer(課長)

Superintending Engineer (部長)に下に、Executive Engineerと呼ばれる何人かの課長クラスの人達いる。 このクラスの人達から上は、全員が執務室(個室)を持っている。 電気担当のエンジニアが、「自宅を新築したので、来てほしい」と私を招待してくれた。 電気担当のコンサルタントは私一人なので、私だけが例によって日本から持参したささやかなお土産を持って訪問した。

 

インドの一般的な個人住宅は概ね次のようにして造られている。 先ず、大型のレンガ(粘土層の地層からスコップで、たて50p、よこ30p、厚さ20pほどの大きさに切り出し、そのまま日干しにして作る)を積み重ねて、基礎と壁を作り、これに鉄筋コンクリートの2階床をつくって、その上に1階と同じ要領でレンガの壁を作っていく。 レンガとコンクリートで家の外形が出来ると、レンガ壁の内側と外側に漆喰を塗り、その上に明るい色のペンキを塗って出来上がりとなる。 床は建物の予算に応じて、モルタル塗り、タイル張り、石張りなどで仕上げられている。 外観的にはどっしりとした重量感がある上、レンガの壁が厚いので、風が通れば屋内は涼しい。

 

彼の自宅もほぼ上記と同様の作りで、椰子畑を切り開いた宅地の中に建てられた、立派な2階建ての1戸建て新居(延べ坪は120uほどか)であった。 彼の母親と彼(独身)が親子で迎えてくれた。 母親の話では、日本人と話しをするのは初めての経験だそうである。 真新しい食器に家庭料理を盛って出してくれた。 少人数でささやかではあったが、心のこもった歓待を受けた。

 

Proprietor(ホテルのオーナー)

この地方ではホテルのオーナーはプロプラエターと呼ばれる。 私達が長期滞在していたホテルのオーナーが、「息子が結婚するので、式に出席してほしい」と招待された。 この地方ではヒンズー教徒に続いてキリスト教徒も比較的多い。 オーナーはキリスト教徒であったため、教会での結婚式であった。 Cathedral(大伽藍)と呼ばれる市内で一番の大聖堂で式が行われた。 天井の高い明るい教会に大勢の招待客が出席し、牧師が主催して盛大に行われた。 いつもは早口で多弁のしっかり者のオーナーも、当日は神妙な表情で式に出席していた。 新郎であるオーナーの息子は、反対に愛想がわるく、何となく頼りなさそうな男であった。

 

女性国会議員

どう言う経緯があったのか良く分からないが、当地出身の国会議員(日本で言えば衆議院議員)が私達を自宅に招待してくれ、夕食をご馳走になった。 あまり詳細は覚えていないが、立派なガラスの食器で料理が出されたことだけが記憶にある。 なかなか愛想の良い女性議員であった。

 

新聞記者

何度か取材を受けたことがある、当地の地方新聞の記者が、記者仲間数人と一緒に朝食会に招待してくれた。 日本の「おかゆ」に似たものがメインの朝食であったが、豚肉の入った料理も出されたので、「あなたはベジタリアンだと聞いていたが」と尋ねると、「外と中は別なんですよ」と苦笑いしていた。 聞いて見ると、外ではベジタリアンと称しているが、家庭に帰ると肉類も食べる「にせベジタリアン」も結構多いらしい。 一般的にベジタリアンの方が「真面目な人」という評価を受けるようである。

 

パーティ

折りに触れて各種のパーティに招待される機会も多く、その度に喜んで出かけて行った。何しろ、滞在していたいつものホテルで食べる食事は、変わり映えがしない上、いつも同じ仲間と食べる食事は退屈なものである。 それに較べてパーティでの食事は、料理の種類も多く美味しいだけでなく、男性に負けず大勢のご婦人方が出席しているのが嬉しい。

 

何しろ日頃は女性と話す機会はほとんどない。 職場で女性といえば、タイピストの女性が数人いるにはいるが、口を利くことは全くない。 私の部屋は個室になっていたし、タイプを頼むときは総て「ピオン」と呼ばれる雑用係りの男を通す仕組みになっていた。 滞在していたホテルにはバーもあったが、ボーイだけで女性は一切いない。 アルコールなしに、薄暗いところで男同士がコカコーラを飲んでいた(アルコールを出すためには特別の許可が必要)。

街には喫茶店もあるが、お茶を運んでくるのは総てボーイ達、商店街に並ぶ店の主人や店員も男性ばかり。 国営の銀行ではカウンターに女性の行員も少数いたが、男性の支店長が「直接わたしの所へきてほしい」と言うので、カウンターで話す機会もない。 国営の土産物店があり、普通のサービスは男性店員が当るが、どう言うわけか店長だけが女性であった。 少々難しい質問は、この店長が応対するので、わざと面倒な質問をして、店長と話すこともあった。

 

パーティは広い部屋に沢山の料理がならべられた、バイキング形式が一般的であった。 出席者は各自が料理を取って、立ったまま、或いは椅子に掛けて、食べながら話しをすることになる。 部屋には必ず、ベジタリアン料理とノンベジタリアン料理の両方が、別々のテーブルに用意されている。 現地の人達は、宗教その他によって、ベジタリアンかノンベジタリアンに峻別されているので、当然そのどちらかの料理を選んで食べなければならない。 私達外国人も、ベジタリアン料理かノンベジタリアン料理の何れかを選ぶのが正しい礼儀なのだろうが、その日の好みで、ベジタリアン料理かノンベジタリアン料理を適宜選んで食べていた。 時には、料理を取りに行く都度、何れかの料理の中から、好きなものを取ってきて食べていても、幸い大目に見てくれていた。

 

料理の上には、極薄の銀箔が掛けられている時も多くあり、銀箔が付いた料理を銀箔ごと食べる。 日本の正月に出される金箔入りのお酒と同じ感覚であろうか。

 

パーティの席上、男性客と仕事の話をすることは殆んどなく、他愛もない雑談が多い。そのため、なるべくご婦人方と話すことにしていた。 彼女達も普段日本人と話をする機会は全くないので、私達との会話には興味津々である。 もっとも、話の内容と言えば、大抵の場合お互いの家族の話である。 これは万国共通のテーマであり、誰とでも直ぐに話しが通じる。 家族と一緒に撮った写真を見せたりすれば、一気に打ち解けることができ、話が弾むことになった。

 

インドでの暮らし その1