インドでの暮らし その2

インド一周の旅2000.6)

バイザック 一直線の砂浜が数10キロに亘って延々と続く バンガロール 一年中花が咲く赤土の町 コーチン 水と緑の多い土地 最新鋭の国営造船所を建設 ムンバイ ボパール 800万坪の敷地 ため五郎工場 アジャンタ 仏教の大石窟群 お寺の総てが1つの岩 コンピューターソフトウエア大国

 

ニューデリーを発って最初の訪問地「ビシャガパトナム(バイザック)」に向かう。 ここは南方向に逆三角の形で突き出したインド半島の東海岸(太平洋側)の中程に位置する大都市である。 ビシャガパトナムには当時インド国内第1の「国営バイザック造船所」があった。 ここではホテルSUN and SANDに投宿する。 

名前の通り、照付ける太陽と砂浜が広がる。 ホテルの庭からは、幅100メートル程の一直線の砂浜が数10キロメートルに亘って延々と続く。 人っ子一人いない全く無人の砂浜だ。 芋の子を洗う様な日本の海水浴場とはまあ何と違う光景であることか。 ビーチパラソルもなければ、貸しボートもない。 脱衣場の小屋もなければ、アイスクリームの店もない。 ぎらぎらと照付ける太陽と、少し赤みを帯びた茶色の砂以外、何もない波打ちぎわだけが、ただ延々と続く。

少々旧式の造船所を1日視察し、次の街「バンガロール」に向かう。 バンガロールはインド亜大陸中南部のデカン高原にあり、一年中花が咲く赤土の町だ。 ここは今までのインドの街とは違う、きれいな町だ。 インドの都会ではどこでも沢山いる乞食や浮浪者、路上の牛も殆んど見かけない。 ホテルも、建物は古いが広い敷地に花が咲き乱れ、芝生が美しい。 ここではヒンダスタン マシンツールと言う国営の工場を視察した。 堂々たる大工場だ。 ここは日本のシチズン時計との合弁で腕時計を作っている。 工作機械は総て日本製であるが日本人は全く見かけなかった。 

次の訪問地はいよいよ目的の街、コーチンだ。 インド半島の逆三角形の西海岸(インド洋側)の突端に近いところに位置している。 水と緑の多い土地で、背の高いココナッツの木がたくさん自生する、文字通り南洋的な雰囲気ののんびりした街である。 ヒンズー教徒が大多数を占めるインドにあって、この州(ケララ州)だけはキリスト教徒が比較的多い。 空港と港と鉄道のターミナル駅が集まる交通の要所でもある。  

ここに70万平方メートルの敷地を確保し、上述のバイザックに続く最新鋭の国営造船所を建設する計画である。 ここでは造船所建設関係者や地元の新聞記者が出迎えてくれた。 ココナッツが出され、それを美味そうに飲んでいる我々日本人一行の写真が翌日の地元紙に大きく報道された。 因みに、直径20センチ程のココナッツの実に孔を明けて、直接飲むココナッツは生臭くて美味しいものではない。 冷たく冷やせば、臭みが薄れて飲み易くなるが。

ここに、6万5千トンの新造船を連続して建造できる建造ドック1基、 8万トンの修繕船を収容できる修繕ドック1基、新造船の船体を建造する工場、機械加工工場、鋼材の保管ヤード(敷地内へ直接引き込まれ鉄道線路で鋼材を搬入する)、設計事務所ビル、研修生用のトレーニングセンター、変電所とエネルギーセンター、給食センター、社員用集会所、幼稚園(保育園)、子供用の公園、などなどを建設することになっている。 建設予定地を視察し、コーチン市内を見た後、西海岸沿いに北上しボンベイ(現在ムンバイと改名)に向かう。

ボンベイで飛行機を乗り継ぎ、次の街ボパールに到着。 ここではバラット ヘビイ エレクトリカル(BHEL「Bahrat Heavy Electrical」 Bahratはインドを意味する)と言う国営電機工場を視察する。 敷地が東西1マイル(約1.6キロメートル)南北1マイル(約260万u)と言う広大な工場である。  更に全体敷地はこの10倍(約2600万u 800万坪)あり、その中には、人造湖あり社宅あり、マーケットや映画館もある。 来客宿泊用のゲストハウス(我々もここに宿泊させてもらった)の前には18ホールの本格的ゴルフコースまで付属している。 その当時「アット驚くタメゴロー」と言うことばが流行っていたが、まさに「ため五郎工場」である。

ボパールの近くに石窟で有名なオーランガバードと言う街がある。 インド国産のアブロと云う名前のプロペラ飛行機(ロールスロイス製の双発ジェットプロップ機)でボンベイから東へ1時間程のところにある。 ここには石窟(アジャンタ)と石の寺院(エローラ)がある。 

アジャンタは6世紀頃から12世紀頃にかけて掘られた仏教の大石窟群で、深い谷の斜面に沿って4,50の洞窟が穿たれている。 山の斜面全体が岩でできており、この斜面に水平に横穴が掘られている。 穴の奥行きは、浅いもので10m程度、深いものは30m位か。 高さは低いもので2m、高いものは20m程もある。 2階建ての大きな建物がすっぽり1つ岩の斜面に掘り込まれた様な大きいものもある。 外は40度を越す暑さでも、1歩石窟の中へ入るとひんやりとして気持が良い。 

当時でも、洞窟は涼しくて住みよい上に穴さえ掘れば増築も簡単であり、前の谷に降りれば水も十分あるので、丁度良い修行の場であったことと想像される。 洞窟の中には中央を通路にして両側に小部屋が幾つも掘られている。 夫々の小部屋が寝室であったり、勉強部屋であったりする。 中央の一番奥は、少し広く天井も少し高く掘られており、お釈迦様の坐像が彫られている。

 エローラのカイラサテンプルは、全体が一つの御影石でできた山を頂上から掘り下げて行き、まるまるお寺一つを彫り残して造ったものである。 お寺の屋根も壁も柱も総てが一体の岩である。 最下部(基壇部分)に彫られた沢山の象が、お寺全体を支えるデザインになっている。 完成までに7世代210年を要したと云う大変な工事ではあるが、お寺の総てを1つの岩から掘り出しているので、材木や瓦などの材料は一切不要、石工に食料さえ与えておけば、年の経過と共に出来上がって行くので、経済的であったのかも知れない。

 インドは日本人にはあまり知られていないが、原子力発電所やジェット戦闘機を国産し、国土は広く(日本の約15倍)天然資源は何でもある上、人口は10億人に達し、英語を自由に話す優秀な技術者も多数抱えている。 今や世界的に知られたコンピューターソフトウエア大国でもある。

1ヶ月をかけたインド国内一周の視察旅行で、インド産業の全体像をおぼろげながら理解することができた。 この間、移動は殆ど飛行機であったが、最初に心配した座席の確保は総てOKであった。 これは我々に1月間同行してくれた中央政府運輸省のお役人の威力を示す証左である。

インドでの暮らし その3に続く