インドでの暮らし その5
驚きの日々
2000.7)

靴下の数が減って行く ニルビリジャ インド風エステティック ベジタリアン 禁酒(ドライ) 熱いお茶を飲むしぐさで冷たいビールを飲む 宗教によって休日が異なる 州が違えば言語が異なる 川の水は清い

 

観光旅行では見聞できないインドでの生活の一面を書いて見たい。

ホテルのボーイ

長期間ホテルに滞在していたので、衣類は総てボーイに頼んで洗濯に出していた。 ところがなんとなくおかしい。 靴下の数が少しずつ減って行く様な気がする。 ある日、いつものボーイに文句を言うとそれ以来減らなくなった。 どうやらボーイがちょろまかしていたらしい。 

また、日本から持ってきた当初は白かった下着がだんだんと黒ずんでくる様な気がする。 どうやら洗濯屋が濁った水の池で洗っているらしい。 何時ものボーイに洗濯代をやって、ホテルの部屋の洗面所(浴室)で洗わせることにしたら、それ以上には黒ずまなくなった。

初めのうちは信用できなかったボーイもだんだんと日本人の性格を知るにつれて、本当に忠実なボーイに変身していった。 チップも初めは用事を頼む度にやっていたが、その内1月分纏めてやる様にした。 お互いに信頼できる関係が築かれていった。 正直にサービスすれば、日本人が気前良くチップを弾んでくれることも分かってきたのだろう。

当地では樹で熟したパパイアが食べられる。 冷蔵庫で冷やしておいたパパイアを切って、レモンをかけて食べると本当に美味しく、日本で食べるのとは別の味がする。 ある日仕事から帰ると、ボーイが「マスター(彼等は我々のことをマスターと呼ぶ)の好きなものを家から持ってきた」と言って、良く冷えた大きなパパイア(長さ40センチ程もある)を私の部屋へ持ってきた。 そう言えば数日間ホテルで見かけなかったと思っていたら、実家へ帰っていたらしい。

彼等はホテルに住み込みで働いており、時々里帰りする様だ。 その時に自分の家の樹になっていたパパイアを、私の好物と知っていて持ってきてくれたらしい。 この時ばかりは私も本当に嬉しかった。

また、こんなこともあった。 ある朝起きると首が痛くて左右に廻らなくなったことがあった。 首を傾けて痛そうにしている私を見つけたそのボーイが「マスターどうしたのか」と聞く。 「寝ている間に首が痛くなった」と言うと「それは、ニルビリジャと云う病気だから、自分が治してやる」と言う。 「ニルビリジャとは何だ」と聞くと「英語で何と言うのか知らないがインドではよくあるやつで、自分がきっと治してやる」と言う。 痛いのを我慢して仕事から帰ってくると、ボーイが待ちうけていて「部屋で裸になってベッドに横になれ」「自分が薬とマッサージで治してやる」と言う。 云われるままに横になると、背中から肩、腕にかけて黒い油状のものを塗って、上半身全体を一所懸命にマッサージをしてくれる。 マッサージの後は濡れタオルできれいに油を拭き取る。 少し痛みが和らいだ。

次の日も同じ様に熱心にマッサージを続ける。 痛みが少しづつ少なくなり、且つ、首から肩の方に少し移動した様に感じる。 それをボーイに言うと「それで良い。 痛い部分が少しづつ小さくなり、だんだんと首から肩、肩から腕、と移っていって、最後には手の先から消えて行く」と言う。 半信半疑で聞いていたが、日が経つに連れてボーイの言った通りに痛みが取れてしまった。 ボーイも自分のことの様に喜んでくれた。

最近では日本でもインド風エステティックと称して、この種のマッサージが見られる様になったが、将にヨーガと同じ古くからの民間療法なのであろう。

このボーイ、我々が1年の任期を終えて日本へ帰る時には、涙を流して別れを惜しんでくれたものだ。

ベジタリアンとノンベジタリアン、贋ベジタリアン

日本でも古いお寺などで肉も魚も食べないし、酒も飲まない坊さんが稀に居られるが、インドでは宗教上の戒律で動物は一切食べない人が沢山いる。 彼等はベジタリアン(菜食主義者)と称され、それ以外の人をノンベジタリアンと(非菜食主義者)称して区別している。 牛肉、魚、鳥は勿論のこと卵も食べない。 命の有るものは一切駄目だが、牛乳はOKである。 エアーインディアの機内食でも、ベジタリアンとノンベジタリアンの2種類の食事が選択できる。 インド国内のレストランでは、はっきりと区別されていて、場所によっては、厨房も分けられていると聞いている。 

一寸したパーティでも、ベジタリアン用とノンベジタリアン用の料理が別々のテーブルに並べられている。 時には「貴方はベジタリアンですか、ノンベジタリアンですか」と尋ねられることもある。

ある日、親しくしているインド人の新聞記者の家庭に招待されたことがある。 彼はベジタリアンだ。 どんな食事が出るのかと興味深々で行って見ると、なんと豚肉のシチューが出るではないか。 私は彼に「貴方はベジタリアンではなかったのか」と尋ねると、彼は苦笑いして「それは外での建前で、家では肉も食べるよ」と。 どこの国でもそうだが、本音と建前を使い分ける人はいるものだ。

動物性蛋白質を取らないと栄養的に良くないと言う日本の栄養学者もいるが、これらのベジタリアン(真面目で本当のベジタリアンでも)は、何ら健康的に劣っている様には見えないし、とても元気である。 

ドライとウエット

インド国内では州によって禁酒(ドライ)のところと、そうでないところ(ウエット)がある。 もともと国民の大多数を占めるヒンドゥ教徒は、その教義から一般に禁酒が多い。 従って、ヒンドゥ教の勢力の強い州は禁酒になっている様である。 

例えばボンベイ(現在名ムンバイ)はドライであり、キリスト教の勢力が強いコチン(ケララ州)はウエットである。 禁酒と言ってもサウジアラビア程に厳格ではなく、公衆が利用する場所(ホテルやレストラン)では飲めないが、自分の家など個人的な場所では飲んでもかまわない様である。 レストランなどでもモグリの飲酒はある。 例えばボンベイではとても暑いので、食事時には冷たいビールが飲みたくなる。 常連客が内緒でウエイターにビールを頼むと、大き目の紅茶ポットによく冷えたビールをいれて持ってくる。 容器もグラスではなくティーカップである。 隣のテーブルにいる客にも気付かれない様に、熱いお茶を飲むしぐさをしながら冷たいビールを飲んだことがある。

また、ボンベイやコチンなど港のある大都市では、密輸のウイスキーが簡単に入手できた。 スコッチウイスキーに混じってサントリーのダルマビンも売られていた。 値段はスコッチもサントリーもほぼ同じである。

国民の祝日

日本では祝祭日は全国民共通であるが、当地では必ずしもそうではない。 職場でも「今日はミスター○○を見かけないがどうしたの」と尋ねると、「ミスター○○はお休みです」と言う。 「今日は平日なのにどうして?」と聞くと「彼はヒンドウ教徒で今日が休日です」、「???」。よく聞いてみると、宗教によって休みが異なり、ヒンドウ教徒の休日とキリスト教徒の休日と回教徒の休日は同じではなく、それぞれ自分の宗教に応じて休日を選択することが認められている。

それ以外に独立記念日やマハトマガンジーの誕生日などは全国民共通の祝日となっている。 気を付けてカレンダーを見ると、なるほど共通の休日と宗教別の休日が記されている。 次の「言語」と同様に、日本では想像もできないことである。

言 語

日本でも各地に方言はいろいろあるが、基本的には総て同じ日本語が国中で通じる。 勿論文字も同じである。 しかし当地では、州が違えば言語が異なる。 勿論話し言葉が違うだけではなく、書く文字も違う。 それらの中には似通った文字もあるが、全く違った文字もある。 公に使用を認められている公用語だけでも13種類あり、方言的なものまで入れるとその数は300とか500云われている。

物干し竿に靴下を並べて干した様な北部の文字(靴下、靴下、靴下文字)や、バナナを幾つも横に並べた様な南部の文字(バナナ、バナナ、バナナ文字)まで、実に様々で見ていても面白い。

全国に通用する言葉としてヒンディ語があり、全国の小学校で教えているようだが、ヒンディ語はインド北部の言葉で、ヒンディ語圏以外の国民からは、「北部の一地方の言葉を自分達に押しつけるのはおかしい」と反対されているようだ。 そのためヒンディ語もなかなか標準語としては普及せず、むしろイギリス植民地時代からの英語が広く使用されている。 特に、社会的、経済的地位の高い人達程、より効用の大きい英語の使用を好み、自分の子供たちに対してもヒンディ語や、自分の出身州の言葉より英語の習得に力を入れている。

従って、旅行でも仕事でも標準語であるヒンデイ語より英語の方がずっと広く通じる。 新聞も英語紙が全国紙として広く読まれている。

通貨の単位はルピーで、これはさすがに全国で流通している。 そのお札の裏面には公用語の13種類の言葉でその紙幣の金額が書かれている。 日本の千円札なら「千円」と一行書かれている所に、千ルピー、千ルピー、千ルピー、と13行に亘って異なった文字で書かれており、更に英語で千ルピー、と書かれているわけだ。 インドの多様性を象徴する一例である。

流れる水は清し??

一度こんなこともあった。 親しくしていた現地のエンジニアが伝統的なボートレースに招待してくれた。 彼はベテランの土木技師で課長クラスの国家公務員である。 レースはインド洋が内陸部に川のように大きく入り組んだ「バックウオーター」と呼ばれる場所で催される。 日本でも有名な長崎のペーロンや相生市のボートレースと酷似していて、木製の大型ボートに数人から時には20人程の漕ぎ手が乗って、スピードを競う勇壮なレースである。

我々はホテルから車で2時間ほど走りその土木技師の自宅(彼の出身地の実家)に着く。 家は「バックウオーター」に面しており、庭から舟に乗れる。 但し、「バックウオーター」の水はかなり濁って底は全く見えない。 そこから彼の用意してくれた小形の屋根付き舟に乗ってボートレースの見物に出かけた。 屋根付き舟には沢山の食べ物や飲み物、食器類も積み込まれた。 レースは2〜3人乗りの小形のものから、20人乗り程の大型のものまであり、なかなかに面白い。

やがて食事の時間となり、船上で持参した料理を食べる。 我々のために彼が自分で瀬戸物の皿に料理を取分けてサービスしてくれた。 一品食べ終ると、別の皿に次の料理を盛って出してくれる。 持参の皿は多くなかったので、先程使った皿はバケツに汲んであった水で簡単に洗って、また次の料理に使う。 バケツに汲んであった水は当然彼の自宅の水道水であろうと思っていた。 ところが何度か皿を洗った後、彼はバケツの水を川に棄て、改めて同じバケツに川の水を汲んでいる。 「えっ??」、と言うことは、さっきまで我々が使った皿を洗っていた水は!!! 彼にとっては例え濁っていようとも、川の水は清いものなのだろう。

いずれにしても単なる観光旅行ではとても経験できない、本当に良い経験をさせて頂いた。 その後の私の人生において、この上ない貴重な体験であったと今も懐かしく感謝している。

インドでの暮らし その6に続く