インドでの暮らし その6
”beyond my control”
2000.7)

体の細胞もインド産に置換わって行く 下痢の頻度も少なくなる 私のコントロールできる範囲を超えている no problem テクノスの背中に乗って時の流れと共に過ごす

 

 第3回目の渡印は1974年。 5年間にわたるの契約期間が終了する最終チ−ムのメンバ−としてであった。 契約期間は最初3年技術援助で終了することになっていたのだが建設工程が大幅に遅延したため、2年間延長された。 しかし、残念ながら造船所の建設は5年間でも終了せず、結果的には造船所の完成を待たずに援助契約終了ということになってしまった。 

もっとも、新造船を建造するために必要な設備は完成していた(修繕船用の設備が未完成)ので、コチン造船所の第1番船の起工式は1974年に再びガンジ−首相を主賓に迎えて盛大に執り行われた。 インド国営の新鋭大型造船所として目出度くスタートを切った。

3度、延べ2年以上に亘る滞在期間中に、日本にいては決して出来ない貴重な体験をし、多くのことを学んだ。 毎日々々、インドの食事を食べていると私の体もインド産になり、体臭までも現地の人達と似て来たように思う。 何しろカレーその他、多種類の香料のよく効いた食事を毎日取っていれば、当然体の細胞もインド産の成分に置換わって行くのだから。

最初の渡印時には月に何度も下痢をしたものだが、その内、下痢の頻度もだんだんと少なくなり、3度目の滞在時には最初から殆ど下痢をすることは無くなっていた。 体がインドの食事に馴染んでいたことと、精神的にもゆとりが出来ていたからであろう。

インド人の好きな言葉に「indigenous(土着の、国産の、固有の、という意味)」と言うのがある。 将に私も心身ともに「indigenousに成ったぞ」と、仕事仲間のインド人達に冗談をいって笑い合った。

彼等の好きな言葉(よく使う言葉)に”beyond my control”と”no problem”と云うのがある。

beyond my control”は何かを約束したが、約束通りできなかった時の言い訳の為にしばしば使う。 文字通り「私のコントロールできる範囲を超えている」「私は精一杯努力したのだが、他の人がやってくれなかったので、約束通りできなかった」という意味である。 勿論、その言葉通りの時もあるが、例え自分がサボっていて出来なかった場合でも、往々にしてこの言葉を使う。 それが見え見えの時には腹も立つが、ここはインドだと思って諦めなければならない。 喧嘩をしてはお仕舞いであり、ぐっと辛抱しなければ、インドでは生きていけない。

no problem”も彼等がよく使う言葉である。 「何も問題はない」「安心していれば良い」という意味なのだが、これがしばしば逆の意味になる。 彼等に何かを依頼して、”no problem”と自信のある言葉が返ってきたので安心していると、実際蓋を開けて見ると問題だらけと言うことがいくらでもある。 ”no problem”と聞いてそのまま安心してはいけない。 No problem は Many problems と心得ねばならない。

細かな点は気にせず、大体良ければそれで良いと思わねばならない(大体の精神と呼ぶ)。 一般的に日本人は細部まできちんとしなければ気が済まない性格の人が多い。 こんな性格の人間は往々にしてインドではノイローゼになり易い。

時間に対する感覚も我々日本人とは大いに異なる。 テクノス(怪獣の姿をした時間の神様)の前を、この怪獣に食べられない様に走り続ける日本人と、テクノスの背中の上に乗って時の流れと共にゆうゆうと時間を過ごすインド(アラビア)人とは、住む世界が違うのかも知れない。 いずれにしても単なる観光旅行ではとても経験できない本当に良い経験をさせて頂いた。 その後の私の人生において、この上ない貴重な体験であったと今も懐かしく感謝している。

インドでの暮らし その7に続く