人生の長さと楽しみ2002.6)

「寿命の長さ」と「その内容の良し悪し」は別 30年の短い人生でも歴史に残る功績を残した人 昨日から楽しんでいる人

 日本人の平均寿命が年々伸びている。 100歳を超える人も多くなった。 平均寿命が80歳を超えて世界一となっている。 しかし、「寿命の長さ」と「その内容の良し悪し」とは別の話である。 楽しく過ごした一日、一時間、やりがいのあることをして過ごした一日、一時間、にはそれなりの意義がある。有効な一日は人生の有効な一日としてカウントできる。

一方、無為に過ごした一日、一時間にはそれ程の意義はない。 従って人生の有効な一日としてカウントすることはできない。 即ち、時間的には同じ一日であっても、意義のある一日と意義のない一日とを同じ一日としてカウントすることはできない。

だから、単に50歳で死んだから短い人生だとか、90歳まで生きたから長い人生だとか、単純にその長さだけで比較することには意味がない。 極端な例では寝たきり老人になって100歳まで生きたからと云って本当に長い人生であったとは云い難い。

 

世の中には、たった30年の短い人生であっても、歴史に残る立派な功績を残した人もいるし、100歳まで生きてもこれといった成果もなく、ただ何となく生きた人も大勢いる。 

世間に認められるような立派な仕事や歴史に残るような功績を残せなくても、せめて自分なりに満足できる一日一日、ひいては満足できる自分の人生を送りたいものである。

人生の区切り毎に時々振り返って見て、その時満足できる人生なら50年でも十分長いのかも知れないし、満足できなければ90年でも短いのかも知れない。

 

最近「人生を楽しむ」という言葉をよく耳にする。 「一度しかない人生だから楽しもう」とか、「定年になって時間ができたから、ぼちぼち楽しもう」とか、「もう少し頑張ってこの仕事が片付いたら、楽しもう」とか、人によって人生を楽しむ時期も様々である。 

しかし、「人生は常に楽しく」が正解であり、「来年から楽しもう」とか、「来月から楽しもう」とか、「明日から楽しもう」とか、「いやいや今日から早速楽しもう」とか云うのは遅過ぎる。 

 

本当に楽しんでいる人は「昨日から楽しんでいる」のだから。