防衛力と日本語教育2007.7)

諸外国との距離が短縮 正規軍対正規軍の戦い 正規軍対ゲリラ軍 対テロ戦争 防衛力にもハードとソフトの両面 日本語教育の普及は国防力を高める 海外に在住する日本人も貢献 日本語や日本文化の世界への普及 日本語と共に日本そのものを理解してもらうために日本人講師が必須

 

 世界の情勢がグローバル化するに伴い、国と国との垣根どんどん低くなっている。 特に日本の場合は、周囲を海に囲まれていたため、外国の国々は文字通り、海の外であり係わりが少ないと言う認識が一般的であった。 しかし、今や航空機の発達により諸外国との距離が一挙に短まってしまった。

 

一方、国防と言う概念も、今までは海に隔てられていたことが大きな利点であったが、航空機やミサイルの発達によって、海による国防の効果が薄らいできている。 それと同時に、戦争の形そのものも大きく変化してきた。 第2次世界大戦までは正規軍対正規軍の戦いであったものが、ベトナム戦争時の正規軍対ゲリラ軍の戦いに大きく変化し、更に、2001年の9.11同時テロ事件以降、対テロ戦争と言う概念が入ってきて、戦争の形が一変している。 従って、国防の概念も大きく変えていかなければならないが、日本人、中でも特に関心を持たねばならない政治家達の持つ国防の概念が、第2次世界大戦以前と大きくは変わっているようには見えない(国防に関心のない政治家も多いがこれは論外)。

 

防衛力にもハードとソフトの両面がある。 ハード面は理解し易い。 戦車、軍艦、飛行機、ミサイル、など、従来からの武器である。 一方、ソフト面は、国民世論(国防意識)、情報力、外交力、文化力、など、定義が難しいがハード面以上に重要である。 それにも拘らず、ソフト面の国防力が余り理解されず、それへの力の入れ方も少ない。 日本人は一般的に、目に見えるものには強い(理解を示し、お金も掛ける)が、目に見えにくいものには弱い(理解を示さず、お金も掛けたがらない)一面がある。

 

例えば、外国人(日本に来ている留学生は勿論のこと、海外に住む外国人一般)に対する日本語教育の普及は、国防力を高める立派な方策である。 外国人に日本語を教えることによって、日本に対する一般的な理解を深め、親近感を高めてもらい、結果的に親日派(少なくとも知日派)を増やすことは大いに有効である。 日本語を通じて日本を正しく知ってもらうことによる効果は、安くて有効な防衛力の増強である。 一両数億円の戦車、一機数十億円の戦闘機、一隻数百億円の軍艦、一発数億円のミサイル、などと較べれば、日本語教育に掛ける費用など格段に安いものである。

 

日本語や日本文化を広げる意味では、海外に在住する日本人も大いに貢献している。 近年、ビジネスを通じて海外に住む日本人が増加している。 ロングステイと称して高齢者の海外居住も増加している。 一般的に、海外にいる日本人を、その国の人達が見た場合、日本人との距離感(近親感)は、下記の順序で近くなる。

@何度もその国にきているが、ホテルに滞在している人

(短期滞在のビジネスマン、旅行者、など)

 Aその国に住居を構えている人

  (海外駐在員、ロングステイの人達、など)

 Bその国の人と結婚している人

  (外国人と結婚し、その国に居住している人達)

 @からA、AからBへと進むに従い、格段に相互の距離感が狭まり、国防力としての意味も高まる。

 今や、ハードの軍事力だけでは平和は保てない情勢となっている。 是非、日本語や日本文化などの世界への普及を国を挙げて促進したいものである。

 

私も一時期、海外で日本語教室を開設し、現地の人達への日本語教育に携わった経験がある。 日本語を習得したいと希望する人は多いが、授業料の負担が重く、希望を実現できない若者が本当に沢山いたのは残念であった。

日本語教育のためには日本人講師が是非とも必要である。 日本語を話す外国人講師に依存する方法もあるが、日本語と共に日本そのものを理解してもらうためには、日本人講師が必須である。 日本から日本人講師を派遣すると、往復の旅費、現地滞在費(宿舎費、食費、傷害保険料、ビザ取得費など)、各種教材費(教科書代、教材CDなど)、事務所経費、等々、かなりの経費がかかり、これが授業料に反映して高くなり、生徒の負担が重くなってしまう。 一部の政府機関(JAICA)でも日本語教育を行ってはいるが、微々たるものである。 防衛予算の使い方(費用対効果)を考えれば、もっともっとソフト面に注力すべきである。