国際化2000.5)

若い時に仕事で海外へ 外から日本を見る 通訳が話の内容を理解できない 仕事の話は直接英語 その国の食事を食べる

 

現在は私的な旅行や仕事の出張で、海外へ出かけることがごく普通のことになった。 私が初めて海外へ出たのは、確か1960年代末であったから、もう30年以上も前のことになる。 台湾に国営の大型造船所を建設する計画があり、我々がそのプロジェクトのフィージビリティ スタディ(建設計画に関する市場性、設計、資材調達、建設費の見積、などの調査)を実施することになり、現地へ乗り込んだ。 当時はまだ海外出張が珍しい頃でもあり、私にとっても初めての海外経験であったので、いろいろな意味合いで多いに勉強になったし、それ以降何十回も仕事や旅行で海外に出た時の自信にも繋がることになった。

その時の経験から言っても若い時に仕事で海外に出ることを薦めたい。 それも1週間以内の短期出張だけでなく、1月とか、出来れば年単位の「滞在」を経験するのが良い。 観光旅行で1週間や10日、海外の町を駆け足で見て回るのも悪くはないが、これでは表通りをさっと通過するだけで、その土地の本当の姿や人々の生活を知ることはできない。  観光で「通過」するのと、仕事で「滞在」(居住)するのとでは大きな違いがある。

外から日本を見ると客観的に日本を見ることができる。  日本の常識と世界の常識とでは違う部分が沢山あることも見えてくる。 その一例が交通機関の運行状況である。  日本では電車や飛行機が定刻通り運行されるのが当たり前で、少しでも遅れると正常ではないということになっているが、日本以外では少々の遅れは当たり前で何ら騒ぐことではない。 余程長時間遅れなければ案内の放送もないので、特に一人旅の場合など、慣れないと戸惑うことが多い。

日本人が最も気にする言葉の問題では、現状の世界では英語が圧倒的な地位を占めるようになってしまった。 しゃべる人の人数では、中国語、スペイン語、なども大きな比率を占めるが、世界の中で占める比重としては、英語に大きく水を開けられてしまった。  インターネットの普及と共に益々その傾向を強めつつある。

しかし、英語を流暢にしゃべることだけが国際人ではない。 こんな実例もある。 私が事の上で中国人と通訳を交えて話をしたことがあるが、最初のうちの挨拶や世間話など一般的な話の時は通訳も普通に訳してくれる。 話が仕事のことに及ぶと通訳は上手く訳せなくなり、話が通じなくなってしまった。

それは通訳が専門用語を知らない上に、話の内容そのものを理解できないため、訳すことができないのだ。 結局、当の中国人も私もまどろっこしくなり、英語で直接話し合うことにした。 双方とも流暢に英語を話せる訳ではないが、それでも通訳を介するよりもずっと良く意思が通じ理解が深まった。

これからの国際交流が普通の時代では、少々ブロークンでも良いから、少なくと自分の仕事の話は、直接英語で意思疎通が出来る様にしておくことが最小限必要となっている。 若い時に身に付けた英語力や国際感覚は、年令を加えてからでも衰えることが少ないが、年を取ってから仕事で経験する海外は、辛く感じる場合が多い。 40歳を過ぎてから初めて海外出張を経験した人を身近で何人か見ているが、少々気の毒にさえ見える。 40歳にもなれば当然社内でもそこそこ責任のある立場になっているため、立場上の体面やプライドを意識するので余計にプレッシャーを感じてしまう。 その点20歳代では、責任も比較的軽く若さと体力に任せて大抵のことは出来てしまう。 そんな年代で海外経験を積んでしまえば、40代になって責任者の立場で出張しても、余裕を持って仕事ができることになる。

40歳を過ぎて初めて、しかも責任者として海外に出て、問題のあった人の例を何人か見てきたがその内の一人の例を以下に述べる。

私が勤務していた会社がメキシコに発電所を建設していた時、その御仁はスペイン語(メキシコではスペイン語が話される)が理解できると言う理由で(英語に比べスペイン語のできるエンジニアは格段に少数)、現地発電所建設所長に任命され、メキシコに赴任した。 海外経験は始めてであった。 結果的に、外国人との折衝の仕方が苦手、且つ、海外の現地生活に馴染めない、と言う2つの難点があった。

そのため、発電所の建設を発注したメキシコ人(お客の側)と我々(建設工事の請負者側)との会議の場で、客側から問題点を指摘されても反論(或いは返答)ができず言われっぱなしになる。 会議ではスペイン語が正規の言葉として使用されるので、残念ながら私も指摘されている内容が理解できない。 雰囲気的にメキシコ側(お客)が日本側にクレームを言っているのは察しが付くので、私も会議に同席している時は、私が反論するから、何を言われたのか日本語に訳してくれとその御仁に言うのだが、それもせず、やられっぱなしになる。 一緒に聞いていてもいらいらする。

こんな場合その場で反論しなければ、黙っているこちら側が非を認めたことになってしまう。 それは、やらなくても良い作業をやらされたり、有償でやるべき仕事を、無償でやらされたりして、こちらの側に大きなコストを発生させてしまう。

また、現地の昼食(メキシコ人と同じ食堂)を食べるのが苦手で、何時も自分で簡単な手料理を作って食べていた。 長期の現地生活では、その土地の食事に馴染むことが大切である。 それが出来なければ、食材の入手や調理に時間を取られるだけでなく、栄養的にも片寄る場合が多い。 海外ではその国の食事を食べるのがいろいろな意味でベストである。

そこの食堂では、多くの日本人は、食器や皿が何となく汚いとか、味付けが良くないとか、食事を運んでくる女の子の手が黒い(インディオ系の女の子は色が少々黒かった)などと言って、月の内半分程は自炊していた。 その中で私ともう一人のエンジニア(彼は若い時からアメリカやオーストラリアなどで厳しい現地生活を経験していた)の二人だけが、美味しい美味しいと言って、毎日メキシコの昼食を食べていた。 インドで2年間カレー料理を食べ続けてきた私にとって、メキシコ料理は正直なところそれ程美味しくはないまでも、それ程苦にはならなかった。

その御仁(現地所長)も精神的、肉体的に随分苦労があったと思う。 もしもっと若い時に海外経験をしていればもっと違った展開になっていただろうと推測される。

随分泥臭い国際化ではあるが、実際大勢の日本人によるこんな経験の積み重ねが、日本の輸出拡大を底辺で支えてきたのである。 国際化は英語ぺらぺらの奇麗事ではないし、楽しい観光旅行だけでは決してない。