共存共福2002.7)

大競争の時代 世界経済繁栄は人類にとって良いことか 人々の幸福に直結しない 他人を打ち負かすことが重要なのではなく、自分の能力を発揮できることが大切 量の多寡ではなく、満足の多寡が大切

「現代は大競争の時代」と云われている。 国内では各種の規制を撤廃して、あるいは規制を緩和して、自由競争を促進することが沈滞したムードの日本を活性化する唯一の道だと声高に叫ばれている。 将にその通りで、行政によるよけいな規制などはないに越したことはない。 世界的にもアメリカが中心となって自由貿易や投資の自由化を促進し、自由な企業活動を世界に広めようとしている。 いわゆるグローバル化である。 この様な個人や企業の自由な活動によって、世界各国の経済レベルの向上を目指している。 その先頭を走り、世界を牽引しているのがアメリカである。 

 

しかし、世界経済が繁栄することは本当に人類にとって良いことなのだろうか。 世界中の国民がアメリカ人と同じ経済レベル、言い換えれば、大きなハンバーグを食べ、車をぶんぶん走らせ、空調機をガンガン効かせ、沢山の衣服を持ち、いわゆる大量消費を進めていけば地球環境が耐えららないことは周知のことである。 それにも関わらず、今の経済学では「経済発展」という最終目標から抜け出せない。

 

一方で消費拡大による経済発展を唱え、もう一方で環境保護を唱えることが既に大きな矛盾であるにも関わらず、依然として産業革命以来の右肩上がりの経済拡大を唱えている。 単に経済が拡大し、消費が増大しても、それは必ずしも人々の幸福に直結するものではないことは今や多くの心ある人が理解している所である。 国民所得が世界一のアメリカ人が必ずしも世界一幸福な国民であるとは限らない。 「年収10億円の家族」より遥かに幸福な「年収1000万円の平凡な家族」がいることは誰でも認める事実である。

 

このまま、自由競争、経済拡大、を続けるのではなく、「自由競争」や「経済発展」とは異なる目標を見つけることが必要な時代がきている。 何のために競争するのか、何のために経済発展が必要なのか、もう一度原点に戻って考えてみる時期である。 競争することが大事なのではなくて、人が自分に与えられた能力を十分に発揮できる環境を整えることが本当は重要なのである。 他人に勝つ、或いは他人を打ち負かすことが重要なのではなく、自分の能力や才能が自由に発揮できることが大切なのである。 世界の生産高と言う数字の増大が重要なのではなく、人々が自分のほしいものが手に入り満足することが重要なのである。 それは量の多寡ではなく、満足の多寡が大切な要素である。

 

現在の競争社会と経済拡大をそのまま発展させ、加速させていけば、その行く先にあるものは、環境破壊、経済戦争の激化、社会の複雑化、所得格差の増大、などなどであり、人間の幸福感の達成とは明らかに逆方向への突進である。

我々が先祖から受け継ぎ子孫へ引き継ぐ時間と、国境を意識しない地球規模での空間を越えて、人々が共に生活し、共に幸福を目指すのが人類が生き残る唯一の道である。 共存共栄を凌駕する「共存共福」こそが現代の人間の目標であろう。