マンウオッチング1999.7)

活気のあるの目 死んでいる目 アルコール依存症 目を輝かせて毎日を活きたい

 

マンウオッチングと言う言葉がある。 もともとバードウオッチングと言う言葉があり、これをひねって出来た言葉である。 私も電車の中で座っている時、道を歩いている時、百貨店や商店街を通る時などに、近くにいる人や、通り掛かりの人をちらちらと眺めることがある。 あまり、じろじろと見詰めるのは具合が悪いし、失礼なのでチラッチラッと眺める程度だが、その人達の目を見ると、何となくその人のその時点での気持ちが分かる様な気がする。

百貨店で、店員の目を見ていると面白い。 活き活きと活気のある新入店員の目、退屈そうな中年店員の目、今にも微笑みそうな楽しい少女の店員の目、表情のない事務的な目、活き活きとまではいかないがゆったりとしたベテラン店員の目、などなど同じ店の店員でも随分と違いがある。 「目は口ほどにものを言う」、言葉通りで元気のある人の目と、元気のない人の目とは、明らかに違いがある。 少し極端に言えば「生きている目と死んでいる目」の違いがある。 「気持ちが高ぶっている目と沈んでいる目」、「何かをしようと目的を持った目と何も目的を持たない目」、 「今日一日、今一時を楽しんでいる目と、今日、今に楽しみを見出せない目」、がある。

かつて、○○サナトリウムを訪問したことがある。 ここはアルコール依存症(俗に言うアルコール中毒者)の治療を専門にしている病院である。 お見舞いに行って入院者と面会するため、予め入院者の家族の了解をとり、家族の方から病院に連絡をしてもらっておいて出かけた。

受付で名前を告げ、看護婦に案内されて専用棟に向かう。 廊下から専用棟への入口には大きな鉄製の扉で仕切られていた。 扉のこちら側に押しボタンが有り、これを押すと扉の向こう側でベルが鳴り、扉が開けられて中へ入る。 窓には鉄の格子が嵌められていた。 入るとすぐの所は大部屋になっていて、大勢の人が、夫々思い思いに時間を過ごしていた。 ゆっくりと歩いている人、座ってじっとしている人、ゲームの様なものをしている人、窓越しにじっと外を眺めている人、など。 その棟には2〜300人程の人が半年から数年過ごしているそうである。

その人達を見渡した時、最も強く感じたことが、目に元気が無いことである。 そこにいる人達の気持ちは、想像してもらえば分かると思うので詳しくは書かないでおく。

何れにしても、人の気持ちはその目に最も敏感に現れる。 何時も前向きに、何か目的を持って、目を輝かせて、毎日を活きたいものだ。