無駄と節約1999.8)

愛情と時間を無駄に 農家の労力を無駄に 物や時間を無駄にしない 無駄はその大小に関係しない 無駄を省くことが節約 100円でも無駄100万円でも必要

 

日本では世間全体が豊かになったため、「節約」と言う言葉があまり聞かれなくなった。 特に若者の間では「節約」は死語に近くなってしまった。 しかし、「節約」の意味をもう一度考えてみたい。

こんな例はどうだろう。 あなたが毎日会社へ愛妻弁当(母親の手作りでもよいが)を持って行くとしよう。 今日も弁当を持ってきたが、友人に誘われてマクドナルドでハンバーグを買って昼食にしたために、その弁当を食べずに捨ててしまったとしたらどうであろう。 それを作ってくれた奥さんの愛情と時間を無駄にしたことになる。 ご飯の米を作ってくれた農家の労力を無駄にしたことになる。 おかずの肉を作ってくれたアメリカのカウボーイの労働を無駄にしたことになる。 「節約」とは物や時間を無駄にしないことである。 奥さんやお百姓さんやカウボーイのせっかくの労力を無駄にしないことが、その人達に対する好意であり感謝であろう

従って、例え100円分の米であっても、それを無為に捨てればそれは無駄であり、1000円の肉であっても体に必要なものであれば、それは必要である。 無駄はその大小に関係しない。 この無駄を省くことが節約である。

お金の使い方に付いても同じことが言える。 無駄なお金は、それが例え少額のことであっても節約する。 他方、必要な時には、例えそれが多額なものであっても、思いきって財布をはたけ。 それでこそお金が生きる。 何とはなしにばらばらと使う金は死に金である。 100円でも無駄には出さないが、100万円でも必要なら出さねばならない。 ケチと節約はここが大きくことなる。 ケチは無駄使いもしないが、必要なお金さえも出さない。

普段から小額だからといって無駄使いをしている者は、必要な時に必要なお金が出せない。 日頃から無駄を省いて、必要な時のために備えておかなければならない。