流しの床屋2000.5)

散髪をしてもらった人達が書いた推薦状 日本でも散髪の出前のニーズあり

 

インドの町には流しの床屋がいる。 私が仕事で当地に長期滞在していた時のことである。 町を歩いていると小さな木製の椅子と布の袋を下げたおっさんが近づいてきて「頭を散髪をさせてくれ」と言う。 このおっさん大丈夫かなと、疑いの目で観察していると、手に持っていた袋から千円札ほどの大きさの紙切れの束を取出し、これを見てくれと差し出した。

見ると殆ど全部が日本語で書かれており、「この床屋は上手い」とか、「このおっさんは正直だ」とか、「安心してもよい」とか、要は今までにこのおっさんに散髪をしてもらった人達が書いた推薦状である。 しかも、その内の大部分が日本人の書いたものであった。 日本人が如何にお人好しであるかが、ここからも推測できる。 日本人以外は、ことの良し悪しは別にして、自分にとって1銭の得にもならないのに、この散髪屋のために推薦状を書こうとはしないのではないかと思う。

それにしてもこの推薦状の束は信用に値するものである。 いつもの私の野次馬根性(何でも見てやろう、試してやろう)の癖が頭をもたげてきて、一度試してみることにした。 「何処でするのか」と尋ねると、「椅子を持っているので道端でしてもよいし、マスター(私のことを彼等はこう呼ぶ)の家かホテルの部屋でもよい」という。 

道端では少々格好が悪いので泊まっているホテルでしてもらうことにした。 ホテルまで付いて来て私の部屋へ入れてやると、散髪はバスルームの中ですると言う。 言う通りにすると、バスルームに持参の小椅子を置いて私を座らせ、布袋からハサミ、バリカン(勿論手動)、かみそり、など道具一式を取出す。 そこに座ってカット、髭剃り、シャンプー、整髪、と一通りやってもらった。 まずまずの出来映えであった。 

その散髪屋の推薦状の束に、私の分が1枚追加されたのは勿論である。

日本でも最近散髪の出前をしてほしいと言うニーズがお年寄などから出ていると聞いているが、まだお目にかかったことがない。 理髪店で雑誌を読みながら待たされるのが嫌な人も多いし、お年寄りで体の不自由な人もあることだから、ニーズは十分あると思うのだが、どうだろうか。 自宅でしてもらえれば待たされることもないし、時間の節約にもなる。  床屋の職人の側から言えば、殆ど設備投資なしで商売が始められるのだから、良い話だと思うのだが、多分日本の行政は理髪業に対しても許可制で、自由に出前が出来ないのかも知れない。 それとも、理髪師の免状(額に入れた免状が理髪店の壁に掛かっていたのを見たことがある)さえあれば、自由に場所を移動して営業できるのだろうか。