人間の本質2000.7)

最近の若者 人間的特質は2000年昔と同じ 積み重ねのできないもの 人生経験 人の心は5000年前から進歩なし 知識は増えたが知恵は増えず

 

最近の若者のすることは理解できない」とか、「新人類は何を考えているか分からない」、などと年配者がよく言う。 あたかも、自分の若い時と比べて今の若者が本質的に変化してしまったかの様に。 しかし、「今時の若い者は・・」という言葉はギリシャ時代の書き物にも出てくる。 実際には今の若者も昔の若者も、ほとんど何も変わっていない。 単にそんな言葉を発する当人が年を取ったと言うだけのことである。

人間の本質は30年や50年で変わるものではない。 否、人間の考えることや行動は、本質的には500年前、1000年前も同じである。 人の感情や欲望、男と女の関係、親子の感情、名誉欲、親しい者との離別の悲しみ、病気や死に対する恐れ、そんな人間的な特質を2000年の昔と現在とを比べて見ても何ら変わるものはない

それでは世の中が大きく変わっている様に見えるのはなぜなのか。

人の知識や経験の内でも、何世代にもわたって「積み重ねのできるもの」と「積み重ねのできないもの」とがある。 科学や工学に関することは、5千年にわたって人間の知識や経験が蓄積されてきた。 その結果科学が進歩し、人間の生活を大きく変化させた。 船や自動車が発達し、飛行機ができ、ラジオやテレビが普及し、数学が発達してコンピュータを生み出し、物理学が発達して原爆まで作ってしまった。 現代のごく普通の大学生が大天才ニュートン以上に高度な物理学を理解しているのは、将にこの積み重ねの賜物である。

凡人でもニュートンの背中に乗って、ニュートンが見た以上に、遠くを見ることが出来るのである。

一方、ある種の知識や経験は、世代を超えて積み重ねて行くことができない。 芸術や音楽、人生経験がこれに当たり、人一人の50年の蓄積のみがものを言う。 他人の経験を踏み台にすることは殆んどできない。 何百年も昔の音楽家、画家、思想家、の領域を現代の人間が凌駕できないのはそのためである。 幾らベートーベンやシューベルトなど過去の作曲家のことを勉強しても現代の作曲家は彼らに勝る作曲が出来ない。 人生に関する経験も殆ど積み重ねが利かない。 どれだけ多くの人が過去と同じ人生の失敗を繰り返していることか。

「積み重ねのきくもの」と「積み重ねのきかないのも」、この両者の乖離がどんどん増大しているのが人類の不幸である。 例えば、積み重ねのきく科学の進歩によって人間は強力な武器を容易に手に入れることができるようになった。 国家が原爆やミサイルを、個人がライフルやピストルを、100年前とは比較にならない容易さで手に入れることができる。 しかし、それらの使用をコントロールする人の心は5000年前から全く進歩していないところに人類の不幸と愚かさがある。

人類は万物の霊長などと勝手に唱えているが、考え様によっては人間ほど馬鹿な動物はいない。 人はピストルを乱射して10人の人を殺す知恵?を持っているが、チンパンジーはピストルで一匹のチンパンジーを殺す知恵さえ持っていないと言うわけだ。

ライオンは腹が減っている時以外、しま馬を殺さないことは子供でも知っている。同じ「 種 」同士で、必要も無いのに殺し合う(しかも大量に)のは、ごく一部の例外を除いて人類だけである。 人は何と賢い?動物か。

なんども言うように人間の知能は5000年昔から(いや10万年の昔から)少しも発達などしていない。 ただ知識が積み重ねられて科学が発達しただけなのだ。 知識は増えたが、知恵は少しも増えていない、残念ながら未だに、2500年前のお釈迦様や2000年前のキリストさまの叡智に遠く及ばないのが実態なのだ。