お経の言葉(釈迦の言葉)2005.6)

般若心経 お釈迦さまは何語で話されたか 初転法輪の地 2,500年も前のこと 日常生活と幸福な人生

 

  般若心経は日本で最も多く読まれているお経の一つであるが、その意味を知る人は少ない。 意味は不明であるが「何となく有難い」、「何となくご利益がありそう」、そんな気がするので唱えているのである。 このお経はインドのサンスクリット語(梵語)を交えた中国語で書かれているので、そのままでは、私達普通の日本人に理解できるはずがない。

「高邁な哲学的内容だから、常人には理解できない。 分からなくても良い。」、と言うのは坊さんの暴論である。 一般人に分かるように話すのが坊さんの仕事であり、努めである。

 

少し考えれば分かることだが、総てのお経は、仏教の開祖であるお釈迦さまの考えから発している。 それでは、お釈迦さまは何語(どのような言葉)で話をされたのか。 インドのガンジス河の近くに「初転法輪の地」と呼ばれる仏教の聖地がある。 「初転法輪の地」とは、お釈迦さまが悟りを開いた後、初めて法輪(仏の教え)を回し始めた(人々に布教を始めた)土地、を意味している。 この時お釈迦さまがそこに居合わせた人達が理解できないような言葉で話しをしたとすれば、誰一人お釈迦さまの話を聞こうとするはずがない。 当然、お釈迦さまはその地の人たちに十分理解できる易しい言葉で話しをされたことは容易に想像できる。 2,500年も前のことであり、当然殆んどの人は字も読めないし、高邁な話しは理解できない。

 

般若心経で言おうとしている内容も、趣旨としてはそれ程難解なものではなく、「どんな心構えで日常生活を送れば、幸福な人生を過ごせるか」、が記されている。 一般大衆に話しかけるお経は、総て一般大衆が理解できる言葉で書かれ、話されるべきである。

 

現在使用されているキリスト教の聖書は、殆んどの版が現代語で書かれているし、説教も日常的な普通の言葉で話されている。 この点ではキリスト教の方が勝っていると言える。 どこかのホテルで現代語で書かれた仏典を見たことがあるが、一部の仏教関係者の中にも「理解できるお経」を目指している人がいるのだと思われる。