政治家は危険な職業
(政治と司法)その1(1998.11)

政治家にリーダーシップのある人物がいない アイデア実行力共に抜群の政治家 大きな国政への貢献 司法制度は減点主義 100の得点があろうとも1の欠点があれば罰する 善行と悪行を天秤に掛け善行が悪行より多ければ天国へ 得点主義 人は誰も欠点を持っており時に過ちを犯す 過ちを犯すのは人それを許すのが神 車を運転する人は総て道路交通法に違反 司法が法律違反を探せば日本国民総てを犯罪人にすることも不可能ではない クリントン大統領の不倫事件

 

どちらを向いても不景気不景気の大合唱である。 バブル崩壊以来10年近くなるのに日本の景気は一向に回復の兆しが見えない。 それどころか、日本だけに留まらず、アジアに飛び、ロシアに飛び、アメリカさえも不況の渦に巻き込まれそうな形勢だ。 (何か根本的なところに間違いがあるようだが、これに付いては別のテーマで述べる)。 そこで一番矢面に立たされて非難されるのが政治の貧困、政治家にリーダーシップのある人物がいない、政治家が対策を決めるのに時間が掛かり過ぎ後手後手になっている、などと言うことだろう。

或る人は「もしも田中角栄が今政界にいたら、もっとてきぱきと手を打ち、とっくに不況を脱出させていただろう」、と言う。 或いはそうかも知れない。 彼はコンピュータ付きのブルドーザーと言われ、アイデア、実行力共に抜群の政治家であったようだ。 しかし、残念ながらロッキード事件で収賄罪に問われて逮捕され、政治生命を絶たれてしまった。

確かに収賄は良いことではない。 しかし、数々の国内経済問題の解決だけではなく、日米関係、日中関係の改善など外交問題も含めて、彼が日本の国全体のために大きな貢献をしたのも事実であろう。 日中関係の改善一つだけを取っても、それは数億円の収賄などとは比べものにならない、遥かに大きな国政への貢献であろう。 それでも、収賄事件で逮捕され、法廷に立たされた時は、司法は国政への貢献など一顧だにせず、唯当人の欠点(法律違反)のみに注目してその罪を咎める。

現在の司法制度はそういう点で明らかに「減点主義」である。 いくら良いことをしても、それは考慮しない。 唯、法律違反のみを取り上げて当人を責める。 100の得点があろうとも、それは認めず1の欠点があればそれを罰するのが今の司法である様に思われる。 それは本当の意味で公平に「人を裁く」ことではない。 所詮、今の裁判官が人を裁くような能力を持っているとは思えない。 こう言えば彼等は、「自分達は法律に従って公正な裁判を行っている」と言うであろう。 別の言い方をすれば、彼等は「法のしもべ」、「法の番人」に過ぎず、本当の意味で人を裁ける様な特別な人間ではないからだ。

その点さすがに宗教家は違う。 仏教にもキリスト教にも天国と地獄の概念があり、人は生前に行った善行と悪行を天秤に掛けて計られ、善行が悪行より多ければ天国へ行き、悪行が善行より多ければ地獄へ落ちる。 これは決して減点主義ではなく、得点主義である。 所詮人間は完璧ではないから、少しくらいの欠点があってもやむを得ない、それ以上の得点を挙げれば欠点も補われると言うわけである。 さすがに、宗教家、お釈迦様やキリスト様は人間の本質(人は誰も欠点を持っており、時には過ちを犯すこともある)を十分に理解しているのである。 「過ちを犯すのは人、それを許すのが神」であることを心得ている。

身近な例を取って見よう。 日本人で車を運転する人なら総ての人が、道路交通法に違反した経験を持っているだろう。 もし一度も違反したことがないと言う人がいれば、それは完全なペーパードライバーで路上で運転したことのない人だけだろう。 ようは運悪く警察官に見つけられたか、幸運にも一度も見つけられなかったかの違いはあるが、総ての運転者が違反を承知で運転している。 日本の道路交通法は日本国民全体を潜在的な犯罪人に仕立て上げる法律である。 一方で順法精神を云々しながら、もう一方で全国民に法律違反をさせて、見つかりさえしなければ、違反をしても良いと言う法律軽視の精神を涵養している訳だから、こんな馬鹿げたことがあるだろうか。

道路交通法以外にも、戦前からの古い法律を含めて、訳の分からない法律が腐る程存在しているわけだから、司法がその気になって法律違反を探せば、日本国民総てを犯罪人にすることも不可能ではない。 それが国にとって、企業にとって、家庭にとって、どれほど有用な人材であっても、欠点(法律違反)さえ見つかれば(必ず一つや二つはあるだろう)罰することができるわけだ。

我々普通の国民はそれでも良いが、敵の多い政治家は一寸したことでも政敵から足を引っ張られる。 アメリカのクリントン大統領の不倫事件もその類だ。 その程度のことをしている男はアメリカにも(勿論日本にも)無数にいるが、政治家ゆえに大事件にされてしまった。 欠点探しを業とする検察官に、家庭の中の個人的なことにまでうるさく口を突っ込まれ、気の毒と言うほかはない。