先 憂 後 楽1998/11)

塩の後で砂糖をなめる フロリダの後にメキシコ 絶対レベルより相対レベルで評価 絶対的なレベルの上下よりも過去の経験からの相対的なレベルの上下で評価する

 

先憂後楽とはもともと古い中国の言葉で、良き君主たる者は国民に先んじて国の行き先を憂慮し、国民が生活を楽しめる程に国情が良くなった後で自分も楽しむ、と言うのが本来の意味であるが、ここでは少し別の解釈をしてみたい。

会社に新入社員として入社した時には、少々厳しい上司に出会っても、会社とはこんなものかとそれ程は辛く感じない(先に苦労)。 その後人事異動や何かで普通の上司に変わるとぐっと楽になった様に感じる(後楽)。

私の場合も入社時の上司はなかなか厳しい人であった。 なにしろ私が入社してからの3年間に先輩達(他の会社を経験した途中入社の人が多かった)が4人も嫌気がさして会社を辞めてしまった程である。 私の場合は若かったこともあり、会社とはこんなものか、上司とはこんなものか、と言うことで辛いことも時にはあったが、それ程苦にはならず、辞めることにもならなかった。 その後5年ほど経って人事異動があり、別の上司と変わった時は随分楽に感じたものだ。 これが逆で、入社時に楽な上司に出会い、後で普通の上司に変わると厳しくなった様で辛く感じるものだ(先楽後憂?)。 塩をなめた後で砂糖をなめるとぐっと甘く感じるのと同じである。

同様に若い時に困難に出会い苦労をした者は、年をとってからは少々の困難でも楽に凌げる。 逆に若い時に楽ばかりしていた者は上記と同じ条件の困難に出会っても辛く感じることになる。

以前メキシコの砂漠地帯に6ヶ月ばかり現地工事で出張していた時に、こんなことがあった。 同じ現地に出張してきた若者が、ここの現場は宿舎の条件は悪いし、食事も食べるものがない、早く日本に返してほしい、と言って嘆く。 私自身はそれ程宿舎が悪いとは思っていなかったし、食事もまあまあ、メキシコならこんなものだろうと思っていた。

そこでその若者に海外出張の経験を尋ねてみた。 彼曰く「半年前にフロリダ(アメリカフロリダ州オーランド)に初めて海外出張して1ヶ月滞在し、今回のメキシコは2度目の海外出張です」とのこと。 なるほどメキシコでは辛く感じるはずだ。 フロリダには私も2度行ったが、なにしろオーランドにはアメリカ航空宇宙局(NASA)の実験場があり、その関連での出張で、宿舎はオーランドの高級住宅地のマンションを借りており条件は最高だ。 おまけに休日にはすぐ近くのディズニーランドにも遊びに行ける。

メキシコの砂漠の中とは大違いだ。 それでも彼はフロリダ出張時の食事は不味かったとこぼしていた(アメリカのレストランの食事は余り美味しくない場合が多い)。 もし彼が先にメキシコへ来て、その後マイアミへ出張していたらどう感じていたことだろうか。 メキシコには少々不満でも、マイアミは天国であったろう。 不幸にも彼にとって出張の順序が違っていたように思う。 これも先楽後憂?の一例である。

人間、自分のそれまでの経験より上であれば満足と感じ、それまでより下であれば不満に感じる。 即ち絶対的なレベルの上下よりも、過去の経験からの相対的なレベルの上下で評価するものだ。 その結果人の人生は、一生を通してみると誰もほぼ同じ幸と不幸を経験し、差し引きゼロとなる。 若い時に楽で、年を取ってからの苦労より、若い時に苦労で年を取ってから楽の方がずっと幸せだ。