少子高齢化のメリット2001.6)

 

高額ローンの重荷から開放 教育費の負担が大幅に減る 省人化はますます進む 生産力不足より生産過剰の時代 知力の時代に相応しい現象

 

近年、女性の社会進出や高学歴化、晩婚化が急速に進み、日本は世界一のスピードで少子化が進行している。 一方で、医療技術の進歩と衛生環境の改善によって、日本人の高齢化が急速に進んでいる。 この二つの側面から少子高齢化の問題が喧伝され、まるで日本民族が亡びてしまうかのような話になっている。 

しかし、少子高齢化は今に始まった訳ではなく、50年前から始まりずっと続いている。 「生めよ増やせよ」と言われた昭和初期の時代は5人兄弟、7人兄弟も普通であった。 今や1から3人兄弟。 この間日本は特に悪い問題もなく大発展を遂げ、問題をクリアーしてきた。 イタリアのルネッサンス時代も、少子高齢化から文化が発展したと聞く(子供が少なくなり教育にかかる費用減少 高齢者は芸術に金をかけた)。

本当に少子高齢化問題はそれ程暗い面ばかりの社会現象なのだろうか。 ここは一つ世間一般の悲観論ばかりに惑わされず、冷静に考えて見る必要があるのではなかろうか。

少子高齢化から派生する問題としてしばしば取り上げられているのが、厚生年金制度の崩壊と労働力不足の問題である。 曰く、「今までは4人の若者が一人の高齢者を支えていたが、子供が減って3人が一人を支えるようになり、やがて2人が一人を支えるようになる」とか、「今の若者が厚生年金保険料を払い続けても、その若者が年金受給者になる頃には、年金制度が崩壊して年金が貰えなくなる」とか、「若者がいなくなって労働力が大幅に不足し、日本の産業は衰退する」とか、さまざまなことが言われている。 いわゆる世代間負担の不公平のせいか、厚生年金の不払い率が若い世代で高くなっているとも言われている。 

本当に少子高齢化はそれ程悪いことなのだろうか。 少子高齢化にはメリットはないのだろうか。 例えば住宅問題はどうだろうか。 少子高齢化の世の中で、長男長女ばかりになるのだから、彼(彼女)等が結婚しても暫らく辛抱すれば、やがて夫婦どちらかの両親の家を相続することになる。 建物が古ければ建て替えや改装をしなければならないかも知れないが、少なくともかつての高度成長時代のように、無理をして高額のローンを組み、「何が何でも土地と家を手に入れなければならない」と言う必要性はぐっと少なくなってくる。 家自体も最近は技術が進み、高耐用性の住宅が建てられらようになってきており、少し手をかければ親の家に住み続けられる。 高額ローンの重荷から開放されれば、多くのサラリーマンはどんなに気持ちが楽になることか。

教育の問題はどうであろう。 子供が少なくなれば当然教育の負担が減少する。 世の中が複雑になったり、科学が進歩したりして学ぶことがらが増えるかも知れない。 それでも少なくとも基礎教育の部分は確実に減るはずだし、いくら世の中が複雑なっても、人一人が勉強する時間には限りがあり、科学が10倍進歩したからといって人が10倍教育を受けなければならない、などと言うことはあり得ないことだ。 因みに将来あなたの子供や孫があなたの2倍も3倍も勉強に時間をかけると思いますか。 少なくとも私はそうは思わない。 今多くの家計を圧迫している教育費の負担が大幅に減ることは確かだろう。

人生経験は単なる学校教育では得られない貴重なものだが、高齢化によって経験者が大幅に増えるわけだからこれも貴重な人的財産だ。 

労働力の不足問題はどうであろう。 肉体労働は今でも既に大きく機械化が進んでいる。 土木建設工事が良い例だ。 昔のようにスコップで土を掘る姿など、殆んど見かけることはなくなった。 一輪車にセメントを積んでビルの上へ運び上げていた姿は今や見たくても見られないことだ。 それに代わってパワーショベルと高齢者(交通監視員)が、あるいはコンクリートミキサー車とポンプ車がそれに取って代わっていることは良く知られているところだ。

製造現場の自動化、省人化はますます進むであろうし、生産力不足より生産過剰(需要不足)が顕著な時代である。 労働力の不足問題など問題にもならない。 むしろ「少子高齢化現象」は、記憶力に優れ豊富な「知識」を詰め込まれた人よりも、円熟した「知恵」が力を発揮する「知力の時代に相応しい現象」である。 「知識」は辞書やインターネットを見れば直ぐに手に入るが、「知恵」はそう簡単には身につかない。 少子高齢化、大いに結構、何を心配することがあろうか。