ソフト屋35歳定年説?1999.8)

マイクロコンピュータ 技術的経験と人生経験を重ねたソフト屋 若者には若者の役割

 

コンピュータの発達に伴い、ソフト屋と言われる職種が随分増えた。 なにしろ、腕時計から自動車まで、身の回りのあらゆる製品に大小何十個ものマイクロコンピュータが入っており、それぞれのマイコンには総てソフトが組み込まれているのだから。 今やコンピュータなしには1日も過ごせないし、「コンピュータ、 ソフト無ければただの箱」で、ソフト無しには動きが取れない仕掛けになってしまっているのだ。

一方、世間では「ソフト屋35歳定年説」と言うのが誠しやかに言われている。 しかし私はその説には組しないことにしている。 なるほど、込み入ったロジックを素早く組み立てたり、頻繁に変更される細かなルールに通じていたり、一寸したバグを見つけたり、と言う様な芸当は35歳以下の若手に有利であることは認めよう。

しかし、そんな小手先だけの器用さで立派なソフトが出来上がるわけでは決してない。 本当に優れたソフトと言うものは、それを利用する人にとって、使い易く、間違い難く、異常な操作にも十分に耐え、使い手の身になって考えられたものでなくてはならず、単に早く動けば良いのではない。 そう言うソフトは十分に技術的経験の上に、人生経験をも積み重ねた熟練のソフト屋によってのみ製作可能であって、人の気持ちや習性にまで考えの及ばぬ駆け出しのソフト屋にはできない代物である。

若者には若者の役割があり、中年には中年の、そして熟年には熟年の役割がある。 同じ一人の人間でも、20歳の時には全く考えもしなかったことを、40歳になって初めて考えることがある様に、若者にはまったく考えもつかないことが、熟年者の頭に浮かぶことがあるものだ。 ことわざに「亀の甲より年の功」というが、この言葉はソフト屋の世界にも依然として生きている。 ただし、若者をしてそう言わしめないような、単なる「繰り言おやじ」は消え去るしかないだろう。