インドでの暮らし その4

インド人にも日本語が通じる2000.6)

おっさんが現地人作業者に日本語で指図 現地に馴染み仕事とノミニケーションをエンジョイ リーダー氏「私死にそうです」 インドの薬は怖いので飲まず インドの薬は良く効く

 

私が技術指導のために現地出張していたインドの造船所で、大型の設備を導入することになった。 厚さ50mmまでの鋼板を自動溶接する設備で、インド国内のメーカーでは製作していないので、日本から輸入することになった。 製作会社は北九州の中堅機械メーカーに決まり、装置が現地へ輸送されてきた。 大型の特殊装置であるため、据付に特殊なノウハウを必要とし、そのメーカーから日本人技術者の1団が指導員として派遣されてきた。 

指導員は、40才代後半の設計課長がリーダーで、その指揮下に50代半ばと30代後半の2人のベテラン現場作業者、計3人であった。 この3人が現地のインド人作業者十数名を指導して据付工事を行うことになる。 据付指導は英語で実施されることに契約で決められていたので、工事に必要な図面や資料も、予め日本で制作され、総て英語で記載されたものが現地作業者に渡された。 リーダーは英語が読め、しゃべることも何とかできたが、他の2人は全くしゃべれない。 特に50代の作業者は、小柄で文字通り現場一筋の「おっさん」であった。

据付工事が始まりインド人の作業者もやって来た。 私も自分の業務の合間に、どうしているかと作業現場へ行って見た。 据付現場ではこのおっさんが先頭に立って現地人作業者に指図するのだが、これが総て日本語でやる。 大きな声でインド人の作業者に向かって、「あそこの部品をここへ運べ」とか、「スパナー持って俺の後について来い」とか、「もう5センチ横へ動かせ」とか、身振り手振りを交えて大声で怒鳴る。

初めのうちは、インド人作業者全員がただきょとんとしてつっ立っているので、「おっさん」が何度も同じことを怒鳴る。 その内に一人の30才位でノッポの色の黒いインド人作業者が、「おっさん」の言おうとしていることを推測して、「これを運ぶのか」とか、「これがいるのか」とか、無言だが身振りで反応を示しだした。 「おっさん」は、その都度「そやそや」、とか「ちがうちがう」とか、どなる。 その内に少しづつ慣れて理解できる様になってきた。 結局「おっさん」が指示をし、黒い「ノッポ」がこれを推測して他の作業者に通訳する、と言う形が出来かかってきた。

数日して再び覗いて見ると、例の「おっさん」が元気に動き回り、ノッポに指示を出していた。 少々複雑な作業でも、指示は総て日本語とゼスチャーで、作業はほぼ順調に進んでいた。 「おっさん」なかなかの役者である。 リーダー(課長さん)はあまり現場では見かけられなかった。

その後「おっさん」と「ノッポ」はどんどん仲良くなり、日本語とゼスチャーによる会話も、良く通じ合う様になっていった。 時には「おっさん」の言うことが「ノッポ」になかなか通じず「おっさん」が「ノッポ」をどなりつけている場面も見かけたが、夕方5時に仕事が終わると、他の日本人指導員は車で帰るのだが、「おっさん」だけは「ノッポ」と仲良く肩を組んで、宿舎への道を歩いて帰っているのを見かけた。 途中でレストランに立ち寄り、「ノッポ」にビールを振舞ってやるのだそうだ。 文字通りノミニケーションを実行し成果を挙げていたわけだ。

現地での仕事は数ヶ月続いたが、「おっさん」は現地生活に完全に馴染み、益々元気に仕事とノミニケーションをエンジョイしていた。 一方リーダー氏の方は日が経つにつれて、元気がなくなる一方であった。 体調が優れず、造船所へ出勤せずにホテルで休養している日が多くなって行った。 

ある時、私の事務室へリーダー氏から蚊の鳴くような弱々しい声で電話があり、「舘村さん、私死にそうです」、という。 「どうしたのですか、Sさん」と聞くと、「ずっとホテルで寝てたのですが、足の方から冷たくなってくるんです」と。 私は慌てて車を呼び、途中で知り合いのインド人の医師を乗せて彼のホテルに急行した。 

行って見るとリーダー氏、元気のない様子でベッドに横になっていた。 医師は「この人は2度ほど診たことがあるし、薬の処方箋も出した」と言う。 「薬を飲みましたか」と聞いてみると「薬は貰ってきたが、インドの薬は怖いので飲まず、日本から持ってきた薬の中から似たようなのを飲みました」と言って、大きなビニール袋に入った薬を見せてくれた。 日本から来る時、多量の薬を持ち込んでいたのだ。

医師はリーダー氏が飲んだと言う薬を見て、「これはビタミン剤だからだめだ」と言って、改めて処方箋を書いてくれた。 私はその処方箋で薬を買い、「インド人の医者はイギリスで勉強した立派な医師だから、安心して飲んで下さい」と進めた。 それを飲む様になってからリーダー氏も大分元気になっていった。

約3ヶ月経って据付工事も終わり、いよいよ指導員達も日本へ帰る時、私も飛行場まで見送りに行った。 すっかり元気を取り戻していたリーダー氏は私に云った。 「舘村さん、インドの薬は良く効きますわ。 日本に帰ってから再発するといけないので、インドの薬を沢山買って帰ることにしました」。 私「....」。

英語を全く理解できない「おっさん」が元気に仕事をこなし、英語ができるリーダー氏がプレッシャーで潰れてしまう。 海外現地での仕事の難しさの一面を現している事例である。

インドでの暮らし その5に続く